昨年末の WSA研#1 縁側トーク「道をつくる」発表から半年が過ぎた。
あの時の私はWSA研に集う皆さんに向けてお話をしながら、心の中で自分はこうありたいのだと自己表明していたように思う。そして参加者皆さんがどうありたいのか聞けるとうれしいとも考えて、ニールス・ボーアの言葉を借りて、このあとの発言は断定ではなく質問です、と伝えた。
発表体験を経て自分の思考フローが少し変化したように感じている。
どう変わったかというと、縁側トーク以降 しんどいなぁなんだか疲れたなぁと感じる時にふと自分の発表内容を思い出すようになった。一人振り返り会の回数が増えて、自分のありようで迷うことが減った。自問自答がスタートし、脳内で一定のフローが流れ、しばらくすると靄が晴れて視界が広がる。こんなイメージ > tired > questioning > observing/deep thinking > for what > action image.
碩学の思想と自身の考えを言葉にして発表するという体験が、ほんの少し自分に変化をもたらしたみたいだ。この実感が興味深い。
脳がトーク内容やいまの実感を都合よく編集しないうちに、未来の自分のために、話した内容のうち「個」を考える際に辿った言葉と思索を書き留めておきたい。
- 予稿 WSA研#1 縁側トーク ~ 予稿 - Words fly away, the written letter remains.
- 振り返り WSA 研究会#1と参加者みなさまによせて - Words fly away, the written letter remains.
道をつくる:はじめに
以下、トークで使う「道」「研究」「個」はこう定義します。
- 道
- あり方 (being), 道理
- 研究
- 研ぎ澄まし究めること。新しい事実や解釈を発見すること
- 個
- なんらかの技術において専門領域をもつ個人
- 専門領域や研究分野で、新たな価値を生み出すことにチャレンジを厭わない
紀元前後の思想家や哲学者の書籍を読むと「道」の解釈は東洋と西洋でニュアンスが異なることがわかります(下表参照)。東京大学東洋文化研究所 安冨教授の発表でその違いを聴くことができます。 > 安冨 歩「「道」とは何か? :『論語』と『老子』の世界観」ー東洋文化研究所公開講座 2017 「アジアの知」 - YouTube
東洋(老荘思想) | 西洋 |
---|---|
being | to be or not to be |
一本道の哲学 | 選択の哲学 |
全体を捉える、誰しもが行きつけばよい、一本道ひとそれぞれの道、道を間違えても迷ってもよい、間違えて戻ってこないのがアホ、自然派生的で感覚的 | 全体を分解して個別に理解、よい選択をすれば天国/悪い選択をすれば><、現代社会はこっち(受験、就職、経済、法..)、合理的で論理的 |
参考資料「論語」「老子」など | 参考資料「自省録」「君主論」など |
縁側トークで使う「道」は、老荘思想で語られる道 (=being) を前提にしています。理由は、自分が傾倒してきた科学者の思想や考え方が、論語や老子に書かれている内容と似ていることに気づいたからです。科学者の著書を思想にフォーカスして読むうちに、ノーベル物理学者 湯川秀樹博士は幼少期から漢文や老荘思想に親しんでいたことを知りました。たしかに湯川博士の著書や専門誌では「道」の思想が滲むフレーズを多く見つけることができます。湯川博士は物理学者になる以前から、老荘思想に親しい考えをしてきた方なのでしょう。
・ただ流行を追っているだけというのはつまらない生き方です ・今日の真理が、明日否定されるかもしれない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道を探し出す ・1日を生きることは、一歩進むことでありたい ノーベル物理学者 湯川秀樹
調べを進めるうちに物理学者 アインシュタインやニールス・ボーア、哲学者ヴィトゲンシュタインも東洋的な思想に関心を寄せていたことがわかってきました。このことは偶然ではなく、研ぎ澄ましてものの理を見つめ、新たな価値や解釈を見つけ出す人たちに共通する思想かもしれないと考えています。
道をつくる
私たちがなんらかの専門領域を突めようとするとき、碩学の思想や自分の経験が役に立つかもしれません。上述した「道」「研究」「個」の定義を心に留めて、私たち個のありかたを3つの問いでお話します。
- 自分だけの道をつくる、語る
- 自分の考えをもつ
- 孤独をおそれない
1. 自分だけの道をつくる、語る
自分の時間や考え、生き方において、他者の意見を参考や気づきの材料にしても、引っ張られる必要はないとお伝えしたいです。立場や言葉が強いひとのまねをする必要もありません。科学者をイメージしても、素敵だなかっこいいなと感じるひとも、独自の歩みを進めているように見えます。
自分を見つめようとする点で、キャリアコンサルタント資格取得の学習過程のエッセンスが活きそうです。ひとのキャリアを考えるフローは一本道の考え方が軸であり、老荘思想と重ねて考えられました。自身の強みを考える過程で、自分のストーリーを語ることを重視しています。
- 過去に見つける
- 現在を見つめる
- 未来を見とおす
過去から連続する時間の積み重ねが今の自分を作っているとしたら、じゃあ今まで自分はどんな時に喜びや感動を感じていたでしょう?自分を突き動かしてきた思いや考えは、過去のどの経験や感情と繋がっているでしょう。自分の源泉はもしかしたら過去に見つけられるかもしれません。過去と今を見つめて、これからの自分をつくっていく。そんな考え方を心理学とカウンセリングのアプローチで学びました。
少し話が逸れますが、自分の時間を生きることは脇目もふらず前に進むだけではありません。寄り道をして、時には失敗をして、その道中で、感動・喜び・楽しさを見つけて小さな成功を味わう。そういったことが人生を豊かなものにするのだと思います。
疲れたときは立ち止まって休めばいい。自分のペースでよいのだと思います。先を急ぐ旅ではないはず。立ち止まる時には、そこに意味があるから足元を見て靴ひもを確認したい。ほどけたままの靴ひもでは長い旅は歩けないし、走れば転ぶし、走らなくてもひもを踏んで転ぶかもしれない。もしも転んだら、また立ち上がればよいのでしょう。
自分の経験を無にしない、他者のまねではなく自分の経験から学ぶという姿勢。自分が信じる道を自分の歩調で歩いていきたいものです。
2. 自分の考えをもつ
1. をするためには、自分の考えをもつことが大切です。何かに気づいた時、他者から何らか刺激を受けた時、その事象に対して自分はどう考えたか。事あるごとに自分の中で考える癖づけをしておけると、その事象が自分にとってどんな意味があるか意味付けしやすいように思います。ショウペン・ハウエルが「思索がない読書に意味はない」と書いているのは興味深いところです。著書「読書について」で、多読は迷いのもとで悪本は読んじゃダメと言い切っています。
自分の考えをもつことを意識付けできそうな方法をいくつかあげます。もっといろいろありそうなので、自分のやり方を見つけてみるのも楽しいですね。
- 問いを立てる
- 問いを立てる勇気を持つ
- 論理を上手に使う
- 全体像から筋道立てて(なんでそう考えるのか?を考えることで)見えてくるものがありそう
- 言葉を鍛える
- 自分の考えを整理し、他者に伝えるため
- 頭の外に出してみる、議論をする
- 脳は自分の考えであっても言葉や文字にして外に出してみないとうまく理解できないらしい。また、議論をすることで別の視点が得られ、理解が深まる
自分の考えや問いは、他者に伝えようとしたり文章にすることで、やっと形をはっきりさせることができるのかもしれません。
自らの考えを持ったうえで、様々な意見に出会う。いろんな物の見方に出会う。新しい言葉や新しい意味の広がりに出会う。そうしてはじめて、自身のより深い思考に出会えることがありそうです。思ってもみなかった場所に足を踏み入れることができるかもしれない。自分と異なる領域や別分野の考えを取り込むことも意識したいです。
3. 孤独をおそれない
言葉の通りです。
これまでに知った科学者や哲学者で、孤独じゃないひとはいませんでした。アインシュタインはあまりにも未来を見通していたために他者に理解されず孤独であった、と湯川著書に記されています。湯川博士もヴィトゲンシュタインも自身の孤独について語る文章があります。WSA研の皆さんだって、研究者ではない私だって同じだと思います。
研究をする、まだ名前がない技術分野を突めようとする時に、先が見えずわけもわからず一人で苦しいと感じることがあるかもしれません。そんな時は孤独を友だちにしたい。
何かを突めるとき、孤独から逃げない姿というものに美しさを感じます。私はそういったひとの孤独に気づきたいし応援したい。
- 自分のビジョン、志の舵を握るのは自分
- 先を見通し、自分の技術や言葉を語ることは孤独。すぐには理解されないことも
- 他者の同意や期待通りに生きたら、他者の人生になってしまう
- なにをするか、どう考えるかの決定権は自分
道をつくる:むすび
発表に至った自分のこれまでを記します。
高校1年生の時に読んだノーベル物理学者 湯川秀樹著 旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)の一文に魅せられ、科学に纏わる書籍を好むようになりました。
未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である
専門書は理解できないため物理学者の書いた随筆を読み、量子力学のりの字も分からずアインシュタインを知り、科学者の端的で美しい文章をノートに書き留めていました。読んでいると森の中を歩いているような静かな気持ちになれるので。
科学者が棲む世界は、開高健氏の言葉「成熟するためには、遠回りをしなければならない」そのもので、迷うことに対する恐怖が和らぎ、ものの理を突き詰めることの意味を知れたように思います。科学者のものの見方は刺激的でユニークで、物理学者 ファインマン博士の著書はとりわけ笑いながら読んだ覚えがあります。
ものごとの本質を捉えようとする視点や知らない解釈や新しい定義を知るうちに老子や論語を読むようになり、いつしか私も自分の道を歩んで生きたいと思うようになりました。道に迷いながらも美しいなにかを見つけられる生き方に憧れがあります。
こんな自分が、技術領域の研究会でお話させてもらう機会をいただくことができた。体験をきっかけに自分が少し変わった実感がある。人生捨てたもんじゃないな〜と思えます。