夜のカフェタイム

気が緩んだのか新しい環境に慣れたせいかすこし気持ちが疲れてしまって、ホームシックのような感情が押し寄せていた。5月から新しい働きかたや役割や人間関係、通勤時間、職場環境、起床時刻の前倒しなど、新しい情報を入手したり近辺の変化が重なったせいだろうか。

気のおけないひとと会って話がしたい、おしゃべりしながらゆっくり静かな時間を過ごしたい。日に何度もそんな考えがこみ上げる。だけれども、明るく楽しい話題や具体的な報告事項があるわけではないのだ。よくわからんけど喋りたいという時、私たちはどうやってお誘いすればいいんだろう?

理由もなく誘われても困るよねとか、自分のわがままで他者の時間を搾取したくないとか、ぐるぐる迷ってはしゅんとするを繰り返して、前に読んだエッセイに「ちょっとこみいった内容は会って話すのがいちばん」と書かれていたのを思い出した。自分にとってこれは夜のカフェタイムだなぁ。夜のカフェタイムがしたい。
「いろいろ話がしたい、ちょっとどこかでお茶していきませんか?」と言って、いまこんなことをしているのとか、いま何につまづいているのとか、これを読んでこう思ったとか、この紅茶とケーキはおいしいとか、そういう身の回りや価値観や他愛のない話がしたかった。

遠くて知らない誰かの、人目を引く強い感情や言葉や情報は疲れてしまう。影響を受けたり流されてしまうのはいやだなぁと思う。
それらに当てはまらない、もっと身近な、ほんのりした考えとか思いとかほのぼのした繋がりとかぼや〜とした時間を過ごしたい。こんなぐんにゃり情けない感じが自分の素である。
隠者のようにどんより思い耽っていた時、タイミングよく気のおけないやさしい人たちがうえーいと自分の閉じたドアをノックしてくれた。

しゃべったり話を聞いたりするうちに、自然と気分が凪いだり自分の在り方を考えるきっかけをもらえて救われた。もし次に同じようなことがあれば、断られてもいいからちょっとお茶しませんか?とお誘いしたい。誘ってほしい。

自分が歩みを進めていくには、夜のカフェタイムと気のおけない存在が必要。身近だけどなににも代えがたい贅沢な時間を大切にしていく。