一人の無為な時間


今日は外を見ず閉じこもって無為な時間を過ごした。しあわせだ。
一人じゃなくてもよさそうだけど、自分以外の誰かに こんなふうに何の為にもならない時間や自分につきあってもらうのは嫌なんじゃないか悪いんじゃないかと申し訳なくいたたまれない気持ちになるから、やっぱり一人が気が楽。一緒にいてそれぞれ別のことを好きにできるみたいな関係がベストかもしれませんネ。

余裕がなくなると、これがやりたい・これがほしいんだよ といったことを自覚したり人に伝えることができなくなる。「人(自分)はどういうことがうれしいのか」「人(自分)はどういうものなのか」「人(自分)はなにがいやなのか」というようなことを考えることがおざなりになる。そんな自分に気付かないようになるのがいやだ。

周りを見ると 何かを達成するため に時間を過ごしている人が多いように感じる。そうでもないのかな?わからない。
目的をもって生きることはすばらしい。一方で、そうじゃないといけないのか?と思う自分がいる。よくありたいと思うけど、ありたい自分は未来のなににも繋がらない。好きなことはただ好きなだけで(読書やら散歩やら)目標も将来もない。それってやばいのだろうか。結論やオチや目的がないとしゃべっちゃいけないのだろうか?極端ですね。

と、ここまで書いて、ああだこうだと逡巡したりぼんやり本を眺めたりおいしい紅茶を飲んで過ごす時間は自分にとって大変有為であるなあと気付いた。
寒い日が続きますが梅が咲き始めた。春が近いですね。