時間を超えてよいもの、ものの見方

時間を超えてよいものとはなんだろうなぁと巡らせた時に、京都は東山の南禅寺界隈別荘群を紹介したドキュメンタリー番組を思い出す。具体的には、番組に登場した庭師の言葉が記憶に残っている。ずいぶん前の番組で自分の記憶が頼りであるため、内容に齟齬があればご容赦ください。

かつて貴族や華族・財閥により建てられた別荘のいくつかは、そのあと何度もオーナーが変わり、今では海外の財閥企業や富豪の所有下にあるそうだ。美しい邸宅やお庭は人の目に触れず閉じられていて、業者による掃除と季節ごとに庭師が手入れをするだけという現状に嘆く声が寄せられているのだった。そんな状況について番組は庭師さんにマイクを向けた。返事はこうだった。

「一流の価値とこの別荘の美しさがわかる人に受け継ぎたい。オーナーさんの国籍なんかはまったく関係ありません」続けて「わたしは今植えたもみじの苗木が50年後立派に育つように日々大切に育てています」「気温や季節ごとに異なる陽の差し方や葉の具合をみて枝を剪定したり、京都のこの土にちゃんと根付いてすくすくと育つよい木と花を選ぶために全国いろんな土地に出向いています。この庭はそうやって作っています。100年先もそうでしょう」
庭のあちこちを歩き回り、作業着に軍手をつけたままそうお話された。庭師さんの思いがこの庭に悠久の時を作り出しているのだった。事に向かうとはこういうことなのだなと思った。要は作り手の哲学なのだ。

常に最新であることに価値があると一概に言えなくなってきた。価値やものが「流行」というワードに乗っかって速いスピードで消費されていくことに対して、ちょっとした抵抗や違和感を感じることが増えてきた。ものの起源や作り手の思想を知り、それを身近に置けばどれくらい長く使うことができるかを考える。作り手の思想に対して賛同できるかは大切な軸だ。もののプライマリメトリックはなに?それは自分にフィットしているの?そんな風にあれこれと吟味し納得ができると実に満足度が高い。ずっと手元に置いていたくなる。

50年、100年先を見据えて庭を設計しメンテナンスをされる庭師さんのものの見方とはどんな風なのだろうか。

長い時間かけて愛着を持ちながら育てたり使うことを前提に、ものの本質を学び、普遍的な価値や魅力を考えたい。作り手の思想や展望が感じ取れる「時間を超えてなおよいもの」を選択したい。そのための審美眼を養い、不要なものは排除する。
時間を超えてよいものは今じゃなくもうすこし先の未来を見通して考え選ばれ作られている。作り手の思いや考えを感じて、わたしは経年変化に美しさや愛着を抱く。