着るものについての思索

洋品店から秋ものが並びはじめましたよと便りが届いた。
猛暑にへこたれて秋をひととき感じたくなり、日が落ちる時刻を待ってお店に出向いた。

普段手に取ったりお店の方におすすめされる洋服はいつもだいたい同じテイストで似通っている。たまには明るい色や違ったデザインを!と意気込むんだけど、なかなか思うようなものに出逢えずにいて、縁とはそういうものだなあ。不意な遭遇を楽しみにしている。

なんの装飾もなくなにも特徴がないねといっていいくらい単純な、それでいて自然に体に沿うシンプルなものが好きである。試着したときに余分なだぶつきがなく、どこも不自然に締め付けられず、いい按配にフィットするもの。からだや気持ちに無理をさせない居心地がよい服といったらいいのかもしれない。
そわそわせず自然でいたいとなると、自分の場合は、白、灰、黒、濃茶、紺など地味色で無地になる。柄ならせいぜい紺地に白の水玉かストライプで、それでさえ模様が目立たないものを選ぶ。ボタンが目立つシャツや上着はどこか落ち着かないから、生地色と大きく違わない色で形はまるがよい(白シャツの貝ボタンが好きで眺めてしまう)。そう、ボタンはシャツにとって欠かせないアイテムだ。何を主張するでもなく全体に溶け込んで生地と生地の間をつなぐ役目を担う縁の下の力持ち的な存在で、そういったところになぜだかときめく。ボタンや生地が好きだからシャツが好きなのかな。さりげなく素敵にシャツを着こなしているひとに自然と目がいく。
そしていまこの文章を書きながらボタン好きを再認識した。

ボタンとかタグとか襟元や袖元などの細部が好き。目立たない場所で自分の機能や役割をしっかりと堅牢に果たしてくれる様子に、作り手さんのこだわりが感じられてうれしくなる。主張しない美しさってある。それを上品というのかもしれない。そんなものや存在に惹かれる。人にも。

初めて試着したにもかかわらず「あー?これこれこの感じ」とすっかり馴染んでしまう服がたまにある。これは生地の好みに加えて、サイズが自分に合っていることによるものだとわかってきた。一過性の流行に左右されないよさを時間をかけて選ぶことは好きだなと思う。
先日試着した紺色のシャツは、着てみた時のしっとり感がよかった。肩の収まり具合やボタンの感じ、洗濯に負けない生地の強さもよかった。着込んでこなれてくるにつれてたぶん自分に馴染んでくれる。馴染むまで時間に手伝ってもらう。

一緒に時間を過ごすほど馴染んでくれるものがいい。丁寧につくられたもの、使う人に寄り添うもの、佇まいが美しいもの、大切に扱われてきたものを長くだいじに使いたい。3年でも5年でも傷むまで着る。だから飽きがくるものは避けたい。

Elbert Hubbardが著書にこう書いている。

  • 友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである

気に入ったものと長く友人のように付き合っていきたい。