学びと問い
学んだことをなんらかのかたちで表現し発信する。それこそが学びを意味あるものにする。
学び、伝える
わたしは資格取得に必要となる修了証を得るために専門学校に通学した。どんなにお金を払い決められた時間に通学しようとも、成長は自動的できるものではないということを経験を通して知った。卒業テストも修了証もきっかけでしかない。
得た学びを継続し何らかの形で表現すること。それこそが学びを意味あるものにする。
発信することで、その分野や領域に関心を持つ他者から別の新たな視点や考えを教えてもらえるといった副次的な効果が得られることはよく聞かれる。自分の発信にリアクションがあるというのは、経験してみると代え難い充足感がある。そこから自分の中で新たな気づきがうまれるかもしれない。自分も誰かに向けて書きたくなるかもしれない。未来の自分に向けて書いてみる楽しさを知るかもしれない。脳は自分が考えたり思っていることを一度外に出さないと自覚できないらしい。文や絵や人に話すことで初めて自分はこう思っていたのかと整理される。書きながら話ながら、新たな疑問や考えがうまれるかもしれない。
この人にはこの場所にはと思える時には「こんなことを知れた」「こう感じたのだ」をがんばって伝えたい。
問いつづけること
そして、そのうえで。3年後どうしていたい?5年後どうありたい?どんな人生をおくるのか?自らの問いを持ち続けたい。
そのためには日頃から経年変化に耐えうる普遍的な思想に親しみ、自問自答し、「こういうことを知ったよ」「自分はこう思うけどどうか」を言葉にし伝えることを諦めてはいけない。自分がありたい姿になれるよう、生き方を間違えないよう、恥じない自分でいられるよう、誰かにちゃんと見てもらい間違いがあれば指摘してほしい。問いをせず伝えることをしないで、ただ他者の同意や期待通りに生きたら、他人の人生になってしまう。自分の生き方は自分しかその舵を握っていない。自分はいまで大丈夫?
つらいときしんどいとき元気がでない時は幾度となく言葉に助けられてきた。古い本の著者から、物語の登場人物から、ブログの書き手さんから、身近な人たちの考え方から。どれも思索や試行錯誤の過程を伺うことができる内容でわたしに力をくれた。誰かが書き残したり伝えてくれたから、救われたなぁと思う。
ひとは自分が与り知らないところで誰かを変える可能性を秘めている。伝えたり自問自答を繰り返した軌跡が、時間や距離を超えて、自分や他者の学びに繋がるとうれしい。