本や文章についてつれづれ

2016年7月に死去された青空書房店主 坂本健一 さんはインタビュアーに「どうして長らく古本屋のオーナーをしているんですか」と訊かれてこう答えたという。

本はいいですよ。まず、本と出会える。本が好きな人と会える。本が好きな人に本を薦めることができる。
人と人が本を通して出会うことができる。

本を通して人と人が関わり合うとはどういうことか。
坂本さんの言葉にある「本」に、インターネット上のブログやインタビュー記事、勉強会のスライドなど、人の考えや思いや経験の足跡が記された「文章」を含めてよいかもしれない。

文章が作り上げる空間には、そこに書き込まれた内容そのものに加えて、言葉を取り巻く人と人との交流がある。著者と読者、登場人物と読者、読者同士の出会いの場所でもある。そしてそれらを通して自分自身と向き合う場。よい文章や言葉と出会うことは自分を知ることだ。

また、よい文章との出会いは私淑をもたらしてくれる。わたしたちは書籍やインターネットの恩恵にあずかり、5年、10年、100年、1000年もっと前に生きた人たちの行動や思想を知ることができる。空間を飛び越え、遠く離れた場所に居るひとの考えや見識を知ることができる。それらの大いなる足跡は、時間や距離による風化作用に耐えて、わたしの生き方や考え方に影響を及ぼしてくれる。

今週はノーベル物理学者 湯川秀樹著書 本の中の世界 (岩波新書)を読んでいた。著者が紹介する科学者とのエピソードや本の存在を知り、その人となりや世界を知り、文章を通して湯川博士のものの見方を感じて静かな気持ちになれた。
湯川博士プリンストン高等研究所滞在中に出会ったという哲学者バートランド・ラッセル著書「ラッセル放談録」への言及は興味深い。以下の一文は、科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)評伝 アインシュタイン (岩波現代文庫) にある考え方と共通していて腑落ちした。

科学と哲学は連続的につながっており、その間にはっきりした一線が引けないし、境界線をつくりたくないのである p.130

湯川博士アインシュタインを語る章も印象的であった。最初は「アインシュタイン」と書いたがそのうち「アインシュタイン博士」「アインシュタイン先生」章の最後では「先生」と記す。
湯川とアインシュタインが文通を通して親交を深めていたことはよく知られているが、アインシュタインを「あまりに遠い未来を見通していたために、他者から理解されず悲哀」と述べ、海を越えて同志を慮っていたことが伝わってきた。アインシュタインを慕う湯川博士の眼差しがここにも感じとれる。

とにもかくにもアインシュタインはいろいろな意味で同時代の大多数の人たちと違っていた。そのためにアインシュタインは孤独であった。
恐らくそれは、飛びはなれて偉大な人物が甘受すべき宿命でもあったのだろう。

アインシュタイン先生が亡くなる二週間前にとある科学史学者が先生のもとを訪れた。(中略)その訪問者が「激しい論争がニュートンの時代の性格だった」と言ったのに対して、先生は「その時代の気風がどうあろうと、それを超越できるのが人間の高貴さというものである」と答えている。
先生はまさに、時代を超えて生きた人であった。
pp.152-153


さいごに物語について書きたい。
これまでなにも考えずに「物語」という言葉を使っていたが、物語の哲学 (岩波現代文庫) を読んで「人間は物語る動物」なのだと知った。文字、口承いずれも含む。
物語とは「出来事、コンテクスト、時系列」この3要件にしたがい、知覚経験を言語行為すること。それは事実のみならず虚構の領域にも及ぶ。
物を見たり音を聴いたり知った事柄について、我々の記憶はなんらかの興味関心に基づいて取捨選択をおこなう。そのあと、一定のコンテクストの中に再配置したり時系列に従って再配列する。そうしてその世界や歴史について語り始めることができる。
知覚体験を解釈的に捉え、語り、人は多様で複雑な経験を整序している。過去の経験、悲しみや喜びといった直接的体験を出来事として物語ることで、現実に対する理解ができるようになるという効用にも触れていた。事実の真理を語る者は現実との和解ができるのだという。

そうかわたしが物語を好む理由は、事実に対する客観的解釈とその背景にある人の思いを知れることにあるのだな。そして物語の、それから?が聞きたいのだ。

本はいいですね。文章を通して人や知らない世界を知り、あちこちを旅することができる。

※このエントリは以前あげた内容を大幅に加筆した。

時間を超えてよいもの、ものの見方

時間を超えてよいものとはなんだろうなぁと巡らせた時に、京都は東山の南禅寺界隈別荘群を紹介したドキュメンタリー番組を思い出す。具体的には、番組に登場した庭師の言葉が記憶に残っている。ずいぶん前の番組で自分の記憶が頼りであるため、内容に齟齬があればご容赦ください。

かつて貴族や華族・財閥により建てられた別荘のいくつかは、そのあと何度もオーナーが変わり、今では海外の財閥企業や富豪の所有下にあるそうだ。美しい邸宅やお庭は人の目に触れず閉じられていて、業者による掃除と季節ごとに庭師が手入れをするだけという現状に嘆く声が寄せられているようだった。そのような状況について番組は庭師さんにマイクを向けた。庭師さんの返事はこうだった。

「一流の価値とこの別荘の美しさがわかる人に受け継ぎたい。オーナーさんの国籍なんかはまったく関係ありません」続けて「わたしは今植えたもみじの苗木が50年後立派に育つように日々大切に育てています」「気温や季節ごとに異なる陽の差し方や葉の具合をみて枝を剪定したり、京都のこの土にちゃんと根付いてすくすくと育つよい木と花を選ぶために全国いろんな土地に出向いています。この庭はそうやって作っています。100年先もそうでしょう」
庭のあちこちを歩き回り、作業着に軍手をつけたままそんなことをお話された。庭師さんの思いがお庭に悠久の時の流れを作り出しているのだった。事に向かうとはこういうことなのだなと思った。要は作り手の思想なのだろう。

常に最新であることに価値があると一概に言えなくなってきた。価値やものが「流行」というワードに乗っかって速いスピードで消費されていくことに対して、ちょっとした抵抗や違和感を感じることも増えてきた。ものの起源や作り手の思想を知り、それを身近に置けばどれくらい長く使うことができるかを考える。作り手の思想に対して賛同できるかは大切な軸だ。もののプライマリメトリックはなに?それは自分にフィットしているの?そんな風にあれこれと吟味し納得ができると実に満足度が高い。ずっと手元に置いていたくなる。

50年、100年先を見据えて庭を設計しメンテナンスをされる庭師さんのものの見方とはどんな風なのだろうか。

長い時間かけて愛着を持ちながら育てたり使うことを前提に、ものの本質を学び、普遍的な価値や魅力を考えたい。作り手の思想や展望が感じ取れる「時間を超えてなおよいもの」を選択したい。そのための審美眼を養い、不要なものは排除する。
時間を超えてよいものは今だけじゃなくもうすこし先の未来を見通して考え選ばれ作られている。作り手の思いや考えを感じて、わたしは経年変化に美しさや愛着を抱く。

「完全なる証明」

完全なる証明

完全なる証明

数学界における7つの難問のうちの1つポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンを描いたノンフィクション作品です。彼が数学の英才教育を受けながら育った旧ソ連での境遇や環境に加え、社会情勢や教育事情が丁寧に紹介されています。読み応え十分。

自分がこの本を手に取った理由は2つありました。
1つは数学界の超難問とされたポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンという人物に対する興味。もう1つは、年齢制限があり受賞が難しいとされるフィールズ賞と100万ドルの賞金をなぜ辞退したのかという疑問です。

グレゴリー・ペレルマン

英才教育を受け、科学や数学の分野で類稀なる才能を発揮するペレルマンは、16歳で数学オリンピックに出場し(当時最年少記録)満点で個人金メダルを受賞するなど、旧ソ連国内では大注目の存在でした。ただし当時の国内情勢は危うく、旧ソ連崩壊の影響もあって、ペレルマンは大学進学を機に米国に渡ります。それでもすぐに物理学のアプローチで数学の証明をおこなうなど斬新奇抜な証明スタイルで注目を集めます。しかしその頃から、世間の情報を遮断し、人と関わることを避けはじめるのでした。
深くひたすらに自分の世界に潜りたい彼にとって、賑やかすぎるアメリカ社会は生きづらかったのかもしれない。はじめのころは自身の証明や成果をアピールする彼でしたが、世間に知られ注目されるほど自分が自分でなくなるような感覚を覚えたのかもしれない。研究生活や学会発表の様子を通して、ペレルマンの人となりが伺い知れるシーンの紹介がいくつかあります。頁を進めるうち、今なお人と関わりを絶って生活するペレルマンにとって、この書籍自体が「放っておいてほしい」と思わせる存在な気がしてすこし申し訳ない気持ちがしました。

フィールズ賞を辞退

本書後半では、ポアンカレ予想の証明を解いた後について描かれます。行き過ぎた取材合戦や裏金などに対する幻滅、ペレルマンの周辺で起こった矛盾を生むだけの拗れた人間行動を細かに紹介しています。彼の世界すべてである数学と向き合う静かな時間と環境。それを「ビジネス化した数学界/ICM委員会」により破壊される一連の描写が緻密で秀逸です。
「人は委員会と対話するんじゃない。人は人と対話するんだ」
そう言って、ICM委員会にポアンカレ予想の証明について講演することをせずフィールズ賞をも辞退し、また2010年にクレイ数学研究所が決めたミレニアム賞も同じく辞退しています。

ペレルマンが求めていたのは目次にあるとおり「説明させ、それに耳を傾けること」だったのでしょう。委員会や世間に囃し立てられるのではなく、情熱を傾けて獲得した自分の新しい数学の世界がちゃんと「人」に理解される。そんな実感がほしかったのかもしれない。

フィールズ賞辞退後、ロシアの小さな街で母とひっそり暮らす彼のもとを訪れたジャーナリストに対し、ペレルマンはこう伝えたと記されています。

  • 「ちょうど友達がほしいと思っていたところでした。それは数学者である必要はありません」

ペレルマンを表現したことばにはこみあげてくるものがあります。

あまりにも才能に恵まれ、あまりにも孤独 (第12章)


著者マーシャ・ガッセンが描くペレルマンは魅力的で、青木薫さんの翻訳も相変わらずすばらしい。読めてよかったと思える1冊でした。
この本を読み終えて「フェルマーの最終定理」最後に記されたアンドリュー・ワイルズの言葉が頭を過りました。その一節を書き留めてこのエントリはおわりにします。

大人になってからも子供のときからの夢を追い続けることができたのは、非常に恵まれていたと思います。これがめったにない幸運だということはわかっています。しかし人は誰しも、自分にとって大きな何かに本気で取り組むことができれば、想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか。この問題を解いてしまったことで喪失感はありますが、それと同時に大きな開放感を味わってもいるのです。
八年間というもの、私の頭はこの問題のことでいっぱいでした。文字通り朝から晩まで、このことばかり考えていましたから。八年というのは、一つのことを考えるには長い時間です。しかし、長きにわたった波乱の旅もこれで終わりました。いまは穏やかな気持ちです。
pp.461-462,フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

9/18 (月) Zurich > 成田 > 羽田 > 伊丹

7日目。最終日。

8/18 (月) AM: チューリヒ空港

最終日は空港までタクシーで10分ほどの距離にあるモダンなホテルに宿泊した。アメニティグッズのクオリティが高く朝食も大満足。近所を散歩した時に撮影したホテルの外観が以下です。
10:30に空港到着。

手荷物検査場で

10:00~14:00発の国際線が多いのだろう、出発ロビー/手荷物検査/出国審査カウンター どこも混雑であった。
テロ対策でヨーロッパ各国の手荷物検査は厳しめであることを承知していたが、出国時の手荷物検査でなぜだか金属探知機のチェックに何度も引っかかり、別の場所に呼ばれてベルトや靴やらを脱いで確認を受けた。その際に預けたアクセサリー(長年愛用のネジ留めブレスレット)が失くなってしまうという出来事があった。
チェックが済み、預けた手荷物や時計とピアスを身につけて、ブレスレットがないことに気がついた。尋ねてみると「しらない」と面倒そうに返される。探してほしいと担当職員に訴えたがノーノー時間がないとの返答。探してほしい、あれは大切なものだ、以外に抗議できる言葉がなく悲しかった。そのうち目を合わすこともせずどこかに行ってしまい、別の職員さんがSorry. とだけ伝えに来た。なにが起きたのか今でもわからない。
職員さんの対応が不誠実で悲しかった。怒りより悲しみのほうが先に立つ。命やお金を失うような大事に至らずこの程度で済んでよかったのかもしれない。

自分の国の言葉があることの幸せ

手荷物検査での出来事がありちょっとしょんぼり気味で、搭乗時間までの30~40分間は搭乗ゲートの待合いエリアでぼうっと過ごした。そこで隣り合わせた女性について書きたい。

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9/17 (日) Wengen > Jungfrau > Zurich

6日目。晴れ。この日の予定は事前に決めてあった。ぎっしりだ。

例えば、週末2日とも外出だとか休日の予定が詰めて埋まると息苦しく感じてしまう。「ちょっと寄り道したい」「急にごろごろしたいのだ」とか「もっとゆっくり」を優先したいから、予定がないとかこれから決めようという状態には抵抗を感じない。その観点で、この日は全部盛りだった。がんばろう。

AM : Jungfraujoch とハイキング

ウェンゲンアルプ鉄道でウェンゲン駅からクライネ・シャイデック駅まで移動し、そこからユングフラウ鉄道に乗り換えて標高 3,750mに位置するユングフラウヨッホ駅 スフィンクス展望台を目指す。富士山の頂上と同じ高さに鉄道の駅があるのね?すごいな!そう、ユングフラウ鉄道はどの駅も標高3,000mを超える場所にある。100年も前にひととお金と20年近くの歳月を費やし、この路線を建設したスイスはすごい国だ。終点駅まで40分ほど車中でうとうと。眠気はもしかしたら標高が高くなってきたせいかもしれない。時おりクラァとしたり息がハァハァした。

標高3,500m超に位置するスフィンクス展望台から見るアレッチ氷河

ふぁーなんだここは。FF14かな。しばらくアレッチ氷河を眺めながら、あちら側の世界に引き込まれそうになる感覚を楽しんだ。
氷河とは長い間かけて降り積もった雪が次第に厚くなり氷となり重力によって流動するようになったものをいう。日本で氷河を身近に見ることはなくピンとこないが、この氷塊の流れが何万年も前から年に200mの速さで流れ進んでいたのだ。そして同じ時間の尺度でこれからもずうっと流れてゆく。"Still waters run deep." という英語の諺がありますが、まさにこのことだな。悠久の時を思った。
(Still waters run deep. = 深い川は静かに流れる。分別のある人や思慮深い人は、ゆったりとしていてやたらに騒がない。というたとえ)

↓ ハイキング中に見たアイガー、メンヒ、ユングフラウ。同時に3つの頂上が見えたよ!

青空と美しい景色を見つつ小一時間ほど歩く最中に、メンヒの中ほどで雪崩が起きる様子を2度も見る機会があった。雪崩を見るのも音を聞くのも初めて。落雷にも戦闘機が飛ぶ音にも似た轟音とともに、ものすごい雪の塊が一気に落ちる。あんなのに巻き込まれたらひとたまりもないなあ。雪山に出向く方はくれぐれもお気をつけください。
岩の隙間や地面にぴたーと張り付いて咲く高山植物を見つけながら、クライネ・シャイデック駅までの散歩ハイキングを楽しんだ。散歩はいいなー人生の楽しみ。
駅の近くでコーヒーを買い、来た道を戻った。再び鉄道でZurichを目指す。鉄道充。

PM: Zurich

クライネ・シャイデック駅からチューリヒまで鉄道で約3時間の旅です。
インターラーケン駅からベルンを経由してチューリヒ中央駅まで、特急列車を利用すると約2時間で移動ができる。運賃は70Fほど。車中はほぼ夢の中であった。
17:00 過ぎにチューリヒ中央駅に到着した。中央駅は映画やポスターに出てきそうな重厚で素敵な駅で、各所に吊るされている大きなMondeanの時計がとっても印象的!構内を散歩して時計と鉄道の色合いを眺めるだけで楽しかった。荷物が多くこの時は早起きとハイキングと移動で疲れ切っていて、写真が撮れていないのがざんねん。
大きな荷物はいったんホテルに置いて、旧市街に戻り散歩。この時期のスイスは20:00pmまで空が明るい。治安がよいチューリヒの街は夜の散歩も楽しい。

博物館や塔やアパート、ウィンドウ越しのディスプレイどれもが小粋で、St. Moritsの自然と調和したのんびりな雰囲気とはまた異なっていた。都会だけれど雑然としておらず疲れる感じはない。ローマやパリのような豪華絢爛な華々しさはない。質素だけれど洗練されていて、わたしはこういう街や時間の流れは好きだと思った。
空気が美しいせいなのか、空間が広くとってあるからかな?はたまた石畳だから?統一感があるのだと思う。歩く人、建物の色味、空の色、街全体のベースカラーが柔らかな中間色で落ち着く。

建物や川を見ていたら急に京都の街が恋しくなることがあった。ZurichもSt.Moritzもすごく素敵だけど京都も負けていない。チューリヒの旧市街を歩きながら半分くらい京都のことを考えていた。プロテスタントの国でチューリヒはそれが色濃くでているため、スイスの中でも文化的な街なのだろう。宗教的な文化と時間の積み重ねが格だとか品を携えている感じがする。教会がたくさんあるのも寺社仏閣がたくさんな京都の街に似ている。人がたくさんいすぎないのもよい。

街をゆく人々はゆったりとしていてマチュアだなぁと感じた。時間がひとに降り積もっていて一過性ではない品がある。かっこいい大人になりたい。

余談

9/17, 18の2日間をまとめて旅の最終エントリにしようとしたら、いろんなことを思い出してなぜだか書くのに苦労した。事実と自分のことと過去と未来がごっちゃになる感じ。自分のことなのに何を書いたらいいのかわからなくなってしまった。不思議。旅疲れが出て混乱したのかもしれない。

もともと書いた文章はすべて消して時間をおくことにした。落ち着いて1日ずつ事実をヨチヨチと書き連ねたのがこのエントリである。稚拙でなんてことのない記録なのにけっこうな時間がかかってしまった。
つづく。

9/16 (土) Zermatt > Wengen

5日目。曇り→雨→曇り。この日のミッションは夕方までにWengenのホテルに辿りつくこと。ウェンゲン駅までの所要時間は ツェルマットから鉄道でおおよそ5時間。

8:00am 台の鉄道に乗りたいため7:00に起床してホテルで朝食。マダム3名と同テーブルになった。自分を見てボンジュール〜と挨拶をしてくれたのでフランス人と理解。発音を真似てボンジュール〜と会釈をした。Zermattはイタリアから近いためイタリア語話者が多い。そしてドイツ語、次いでフランス語か。
このマダムたちの食べぶりが気持ちよいったらなかった。 3名それぞれが、クロワッサン2つ、黒パンを2切れ、バターにハム、チーズ、卵、ソーセージやら果物類など、一人で2皿を大盛りにして楽しそうにおしゃべりをしながら完食されていてすごいなあ。もしかしたらフランスは朝食を大切に考え時間をかける食文化なのかも。海外の人々とひとときを共にして「文化の差」を感じ知る機会が何度かあった。例えばマナー。食事の仕方。食事のサーブ..etc.
比べて自分は、パン1枚&ジャムにスクランブルエッグ、ヨーグルトとカフェラテがあればもう十分で、いやいやもっとがんばらないと!> < なぜだか食に対して謎の使命感を背負っている。
部屋に戻り準備をして、ツェルマット駅を9時前発の鉄道に乗車。スイスを走る鉄道の乗り換えおよび時刻表は、スイス連邦鉄道公式サイトで調べることができる。URLは以下。

ひんやりと小雨の降る静かな日であった。 車窓から見る山と流れる街の景色は靄にけぶり、まるで絵だ。連続して鉄道に乗り続けるのはしんどく、この日は時間に余裕があったので Interlaken. ostで途中下車をしトゥーン湖周辺を散歩。駅近くのCOOPで4.8Fのサラダセットを購入して散歩道に設置されているベンチに座って食べた。スイスには至るところにこうしたベンチがあり、老若男女が腰をかけて思い思いの時間を過ごす様子に出会う。読書をする人々、語らう二人組、犬の散歩中に休憩するおばあちゃん、こどもたち。ゆったりとした時間が流れていた。こんな時をしばらく忘れていた気がする。
雨が上がり雲の切れ間が見えたころに湖から始まる大きな虹に遭遇し、旅先で思いがけずよく知る顔に会えたようなうれしい気持ちになった。こういうことがあるから散歩は好き。雨の日に思い切って外に出てよかった。その後はぶらぶらと雑貨店や食料品店をウィンドウショッピングし、結局 Interlakenには2時間近く滞在した。

18:00前にウェンゲン駅に到着。この日のホテルは駅の目の前であった。喜びも束の間、部屋でインターネットが繋がらず難儀することになる。しょっちゅうロビーに出向き、翌日の予定と移動時刻をチェック。地図や時刻の確認に留まらず自分の心細さの解消もインターネットに頼りきりであることに気づく。インターネットがないと旅ができない自分だった。
ほか、つれづれに書き連ねておく。

持っていったが使わなかったもの

  • 3DSドラゴンクエスト11
    • 移動中さびしくなるかもしれないと思い持参したがまったく電源をいれなかった。自分がRPGのキャラみたいなものだ
  • 着替えたくさん
    • インナー類が日数分あればよい。他を持参しすぎて重いばかりだった
    • 読まなかった。車窓からつねに美しい世界が眺められる
    • 地図をずっと見ていた

持っていけばよかったもの

  • 歯ブラシセット
    • 日本のホテルのように常備していません
  • 手袋とマフラー
    • 9月以降に山岳エリアにでかける方は持参するとよい
  • ハンドクリーム、保湿クリーム
    • 乾燥で手がカサカサに。機内だけかとおもたらスイスは乾燥地域であった
  • エコバッグ

持っていってよかったもの

  • 革靴とスニーカー
    • 雨の日には雨の靴を。気分転換にもなりました
  • ワンピースとワンピースに合うポシェット
    • 街歩きの日はちょっと気分を変えたい
    • お財布とパスポートが入るサイズがよい。ハンドバッグはスられないように注意です
  • サングラス
    • 寒くても日差しは強烈

意外なこと

  • 黒髪/直毛
    • 店員さんや出会った人々に何度かほめられた。隣の芝はあおい
  • テトリス
    • 機内のエンターテインメントシステムで遊べた
    • テトリスと睡眠を繰り返して12時間の空の旅をすごしたらずいぶん上達

9/15(金) Zermatt

4日目、快晴。

AM : マッターホルンを眺めるハイキング

団体ツアーのオプションとして開催されている「マッターホルンが見えるハイキングツアー」に参加をしました。ツアー内容は、ゴルナーグラード鉄道に乗車して、終着駅のゴルナーグラード展望台からマッターホルンを眺めたのち、途中駅のローテンボーデン駅で下車してリッフェルベルク駅まで一駅分を1.5hかけてハイキングするというもの。ツアーガイドを担当してくださった方は、ガイドの仕事をしながらスイスの低山とクライミングでトレーニングを積み、来年マッターホルン登頂にアタックするそうです。
ゴルナーグラード展望台から望むマッターホルン。標高4,478m。どーん。

湖面に映る逆さマッターホルン。美しい。ガイドさんによると、逆さの山をこれほど美しく見ることができる確率は全体の2割程度だそうです。無風、青空、山が雲に隠れていない。この3つの条件が揃わないと見られない。

マッターホルンは独峰で目立つ上にそのフォルムが美しいため世界中にファンがいて有名です。圧倒的存在感。
しかし自分がずっと眺めていたいなと思うのは、同じゴルナーグラード展望台から展望できるモンテ・ローザドームでした。みながマッターホルンをバックに撮影する中、モンテローザとドームの迫力と神々しさと目を奪われていると、マッターホルンよりこっちが好み?とガイドさんが話かけてくれました。マッターホルンを見に来てこんなことを言うのは申し訳ないが、なぜだか連峰や氷河の迫力の方に惹かれるんですと話すと「ツェルマットでガイドをしながらこんなことを言ったらまずいけど、わたしにはマッターホルンよりもワイスホルンの方が好きなんですよ」と伝えてくれて、一緒に笑いました。
モンテ・ローザ。写真の中央から左に位置する奥の高い山。近くを流れる氷河と周辺の4,000m超の山々の迫力もあってもうどこを見たらいいのかわからない。

尖った2つの連峰のうち手前がドーム。Saas-Feeの話題の中でイタリア出身のおじさまが言っていた山とここで思いがけず遭遇できてうれしかった。

ハイキング中は案の定めちゃくちゃ寒くて手の感覚がなくなってしまいました。スイスの山岳地方を訪れる方は防寒対策をよろしくおねがいします。手袋、帽子、マフラーは必須。
ハイキングを終えて、リッフェルベルグ駅からゴルナーグラード鉄道でツェルマット駅まで戻りました。街に身をつんざくような冷たい風はなくほっ。

PM: Zermatt を散歩

COOPで購入したサラダとサンドウィッチをホテルの自由スペースでいただいたあと街に出かけました。
ZermattもSt. Moritzと同様に山に囲まれたこじんまりな観光地、登山客が集う山岳リゾートです。どちらもガソリン車の大型車両は侵入禁止で環境保全に厳しい街です。両者が異なる点は、St. Moritzはウィンタースポーツ、Zermattは登山やクライマーの憧れの地であることくらいか。
Zermattの街の高級時計や有名な山岳スポーツブランドが軒を連ねるメイン通りをぐるっと周回し、路地を入ってみたりしたものの、なんとなく自分はSt. Moritzのほうがしっくり歩きやすく思いました。なんだろうなー St. Moritzは人の生活や暮らしがそこにある感じがしました。
COOPでミネラルウォーターと食べ物をちょこちょこ購入して早い時間にホテルに戻り、9/14のエントリを忘れないうちに記録。そのあとまたしても昼寝をしてしまった。COOPで水を買うとやすいの!0.9Fでした!次からはCOOPです。

ほか

Zermattのホテルに常備されている石鹸の香りが気に入っています。はー自分からいい香りがする。このホテルを去る時に石鹸について教えてもらおう。
次のブログではいよいよ食べもののことについて書きたい。「郷に入っては郷に従え」に同意ではありますが、日本でたべるごはんの素晴らしさを実感しています。ああごはんとカレーライスがたべたいと毎日念じている。そして時差ぼけは依然として治りません。

9/15の写真

今日はZermattを離れWengenのホテルを目指します。このあとWengenについて予習をしないと。
日本はもう土曜日の昼、ランチどきでしょうか。こちらにいて毎日京都の天気予報をチェックしています。台風の接近を把握。大きな被害がないことを願う。