ものとの出会いや自分の時間について

ものとの出会い

情報誌や雑誌はほとんど見ない。出かけた先で目にした偶然の出会いに強く影響を受けている気がする。例えば、好きなカフェやケーキ屋さんで使用しているお皿やカトラリーや器具。珈琲店でマスターが付けているエプロンや、カウンターに置かれている雑誌のどこかの頁とか。
お店で見かけたものやひとが素敵だなと思った時に参考にすることはしょっちゅうで、気が向けばメモをする。

身の回りのもの

使う愉しみがあるもの - Words fly away, the written letter remains.
機能性重視で飽きがこないものを選ぶ。頻繁に使ったり目にするものだから気に入った好きなものを使いたくて、これだ!と思えるものが見つかるまで基本的に買わない。気に入れば壊れるまで何年でも使い続ける。洋服も同じ。ものの経年変化が自分と重ね合っている気がして、その感覚が好き。
部屋に置く装飾の類はほぼ手に取りません。見るだけ。以前エジソンバルブの暖色が気に入っていくつか買ったけれど結局使わなくなってしまった。彩りとして、自分は季節のお花と育てている多肉植物で満足しますが、客観的に見るとかわいげがなく殺風景かもしれない。
リードディフューザーと掛け時計とソファカバーとクッションはお気に入り。昨年秋に掛け時計の短針が動かなくなり、思い切ってARNE JACOBSENのStation を購入した。デンマークの鉄道駅で採用された時計で視認性が高くスタイリッシュなの。スイスの国鉄で使用されているMONDAINEと迷って、こちらは我が家にすこしゴツい気がして Stationに決めた。いずれも実物を見て素敵だ〜と思ったもの。
ソファカバーはセールで購入できたカーテンと同色のベージュ。クッションカバーはただの白。
家具屋や雑貨売り場(コンランショップとか)のウィンドウショッピングは好き。これを部屋に置いたらどうかな?の妄想はよくする。

身に付けるもの

着るものについての思索 - Words fly away, the written letter remains.

服づくりのコンセプトやスタッフのかたの対応を重視している気がする。たんに新作をおすすめされるのではなくて、服が作られた思想や素材について教えてもらえるお店やスタッフを信頼している。長く着たいからデザインよりも素材や細部重視。そしてサイズ感。
なかなか冒険できずいつも似た服を着ているが、自分にフィットするものを選ぶことは好きなのでたいてい試着をして決める。試着時のやりとりは、自分とお店や洋服との相性を知れる機会になる。そういえばよくお店のスタッフに間違えられて、その度に、すみませんわたしお客なんですえへへ〜としている。

アクセサリーは毎日おなじ一粒のピアスと祖母に譲ってもらったオーセンティックな指輪を小指につけてお守りにしている。化粧品にはびっくりするほど関心がなくて、装飾に興味が薄いのと関係しているのかしら?美しい人をみてうらやましいなぁと思うけれど、真似したいなとはならず、顔を洗って肌荒れしませんように!程度のことしかしていない。つい自分が楽できる居心地重視を優先してしまう。

自分の時間

わたしの多くを形づくっているのは、時間の過ごし方なのかなぁと思える。
仕事をして帰宅してご飯と後片付けをしてお風呂で平日は終了。休日は本を物色したり理由なく街をぶらぶらと歩いて飲食していることが多い。好きなお店をのぞいてスイーツを食べたりおしゃべりをしながらの散歩は最高。京都の街はこじんまりでおいしいお店がたくさんあり、ちょっと歩けば文化や歴史が感じられて幸せだ。

観察好きなので、ふらっと出かけたとしても飽きることはありません。
カフェで使われているお皿やカトラリーにこだわりが感じられると、ここのオーナーさんは味覚だけじゃなく五感ぜんぶでお店に居る時間を楽しんでほしいと思っているのだなと想像する。穏やかな空気を纏っていて、自分の好きなものや本質を重視するような言動が感じられるひとには目がいってしまう。優しいひとは安心感があって幸せな気持ちを連れてきてくれる。場所やひとの細部や深部から滲み出る魅力みたいなものに惹かれる傾向にある。居心地がよいと通いたくなる。

家で過ごす時間はもちろん好き。週末どちらか1日は家でゆっくりしていたい。寒い季節にはFortnum&MaisonのChai茶葉でチャイを作って飲む。少し手間をかければお店並みにおいしい。
昨年の一時期はゲームをやっていたけれど、いまは漫画や本を読んでいる時間が楽しい。読書をして気に留まる一節があればノートに転記をする。字や手紙を書く時間は気持ちが落ちつくので大切。
就寝前にやる1日の振り返りを日課にしている。うれしい出来事を追体験して噛み締めたり(あーん)内省したり、その日にあったことを思い巡らせる。いろんな感情と向き合うことになるのでいい時も悪い時もあるけれど習慣になった。
特別なことをしなくても、のんびりと妄想ができたり他愛ない時間がリフレッシュになっている。寛げる好きな場所で自分の時間を過ごしていたい。
うれしいなぁと思うコメントをいただくことがたまにある。自分のどこがとびっくりするが、自然体で好きな時間とものと人たちの近くでマイペースにやっていきたい。

むすび

離れた場所で新しい生活をスタートされた友人から届いたお便り(うれしい)がきっかけでこのエントリを書きました。
「どのようにものと出会い、手にとっているのか?」「なりたいイメージだ」とのメッセージは、自分が素敵なひとに対して思っていたことで、なんだかとてもうれしくなって何度も読み返しました。人間てうれしいときは小躍りするものですね。

素敵なひとを見つけた時に感じるのは「自分の好きなことや似合うものをよく知っているのだな」「自分の時間をもっているのだろうな」ということです。流行や周りの喧騒に流されることなく自分をゆったりと生きているように見える。わたしもそうありたい。健やかに穏やかに感性豊かに生きてゆきたいものです。

2018年

あけましておめでとうございます。
雨とみぞれが降る寒空です。穏やかに新しい年を迎えることができました。

昨年お世話になったみなさま、ありがとうございました。

2017年

振り返りです。2017年 - Words fly away, the written letter remains.
読み返してみて、2017年の自分が年初めに書いた内容とだいたい同じで驚いています。言葉にしておくってすごい。「素直になる」意外はだいたい実現することができました。なかなか自分の資質というのは手強くてうまくいきませんでした。今年まで持ち越しの課題です。
昨年は季節ごとになんらかの挑戦や壁があり、ギリギリ乗り越えて次に転じることができました。わたしは環境とひとに恵まれている。見守り応援してくれた方々に感謝しています。

年明け早々に上司が現職を去ることを決断され、伴って自分の役割が変わりました。急なロール変更と初めての業務に毎日が怒涛でした。不安で何度かシクシクオロオロしたけれど、優秀な同僚と身近で話を聞いてくれる方々の支えでなんとか歩みを進めることができました。
同じようにしなくていい、あなたらしくやればよい、という言葉にどれだけ力づけてもらえたかわかりません。

夏前には国家資格の試験がありました。筆記と実技の両方をパスする必要があり、覚えることが広範囲で一夜漬けでやっつけられる量ではないため、2016年冬から細々と自主学習を進めていました。キャリアの考え方やカウンセリングの理論を学ぶことは楽しかったけれど、試験勉強嫌いを再認識しました。二度と試験勉強はやらないぞと1発合格を心に決めてなんとか乗り切りました。昨年末の3ヶ月間通学と半年間の自主勉強は長かった。朗報が聞けてほっと胸を撫でおろしました。
ただ資格を取得しただけでは何も意味がない。学んだ内容は自分の肥やしになると信じたいですが、なんらかの貢献ができたり力を活かせた実感はありません。今後の課題です。
また8月から現業務に集中できる環境に異動がありました。

なんだかこの頃すこし疲れてしまって遠くに行きたいと思うようになっていました。年初めのエントリに沿うつもりではなかったけれど、秋口にヨーロッパへ出向くことにしました。
9/18 (月) Zurich > 成田 > 羽田 > 伊丹 - Words fly away, the written letter remains.
今回ドイツに住む友人と会うことは叶いませんでしたが、自力を試すような体験をしたり自分の好きな街や時の流れやひとを再確認する機会になりました。訪れた街の中では、St. MoritzとZurichが好きになりました。文化と歴史がある街が好きです。京都が好き。
10月にはペパボさんとのペパボ・はてな技術大会#3に運営メンバとして参加をさせてもらい、福岡の地を再訪しました。自分の力不足を感じて、自分に対して出口の見つからない問いを繰り返すことがよくありました。迷いながら低空飛行の時期でした。

冬。2017年の紅葉狩り大徳寺に出かけたのみでした。週末はごろごろしてお気に入りのお店をのぞいて、本を読んでいる時間が楽しかった。週末になると図書館に通っていました。
記憶に新しい出来事として、 WSA 研究会#1と参加者みなさまによせて - Words fly away, the written letter remains. に参加をさせてもらったことはこれまでにない学びの機会となりました。
ほんの15分程度のトークでそんなに?と思われるかもわかりませんが、自分にとっては大きな気づきと自信をもたらしてくれる一歩になるのではないか。
予稿+スライドを作る過程で、自分の過去を思い、資格試験で得た知識を思い出し、自分の現在と未来を考えていました。予稿とスライドはWSA研参加者の皆さんに向けてはもちろん、しかしほとんどは自分に向けての言葉です。その一連が次に繋がりそうな気がしています。まだ言語化できていないけれど。現職に並んで、WSA研やそこに集うみなさんを応援したい気持ちです。

なんだか仕事絡みの内容ばかりになってしまった。ほかに何かないのか?ない。
いまは落ち着いてゆっくりと話ができるひとと会うようにしたいという気持ちが強くなっています。

2018年

これまでに自分が読んだり経験したり考えたことをぐーんと抽象化して、発信できるようにしたいと思います。
どういう形かまだわかりませんが、それが誰かのお役に立てれば幸いだし、自分にとってよい気づきを与えてくれるでしょう。そうして、自分はこれまでと同様に書籍や人や組織環境・出会いから学び、自分にフィードバックをしていく。そういったサイクルを自身にもたらしたい。

昨年はずっと同じような洋服を着てまったく変化がなかったのは反省点。今年はちゃんとして、たまには小綺麗にしたりイメージチェンジしたいという感情がちょっとだけあります。ただしそこに時間をかけるのが億劫で関心がないのであかん。どうしたらいいのか教えていただきたいです。
そういえば先日お店で見かけた方やZurichの空港で見かけた女性の所作や雰囲気が美しくて見惚れたのでした。あんな風になりたい。

「思考と言語化/言葉を一致させていく」(まつもとりーさんの助言)は心がけていきます。このことは、自分が納得のいく生き方や軸・スタイルを持つことと同義だと思えるので、自分にとって好ましいと思うもの、言葉や感情、姿勢、価値観、すべてを吟味し選択し強化していこう。

わたしの言動に誤りや不愉快や稚拙な点があれば、それは間違いだよ違うよ、と忌憚のない指摘をいただきたいです。これを読んでくださったリアルやインターネットで関わりのある方々はどうかご協力くださいませ。お願いします。

業務では変わらずこの考えでやっていきます。なんらか実行を伴う提案や発信をしていかないとならない立場なのだしできるようにがんばる。

自分の感情に耳を傾ける余裕が生まれたり、落ち着いた気持ちを取り戻せたり、本当にしたいことに気づけたり、新しくて豊かな価値を作ったり考えたり楽しむ力が湧いてくる。そういった場や組織づくりをサポートしたい。
http://tomomii.hatenablog.com/entry/2017/01/01/021238

うれしいことも苦しいこともすべての感情と経験を連れて、自分の歩みを一歩ずつ進めていきたいと思います。そして元気においしいものがたべたい!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

WSA 研究会#1と参加者みなさまによせて

このエントリは、12/23(土)に京都で開催された第1回 WSA研究会 に参加させていただき「道をつくる」というタイトルで縁側トークをした記録です。長文です。

以下に記載する内容はWSA研に特化したもので、汎用的ではありません。また独自解釈や考えが多分に含まれているため公開を躊躇していました(解釈や記載内容に間違いがあればご容赦ください)。
でもやっぱりWSA研#1 に参加されたみなさんにお礼や振り返りを伝えたいと思って、ブログに残すことにしました。
改めて、技術を知らない自分に時間を割いていただいた運営メンバと参加者みなさまに感謝いたします。この記録がなにかのきっかけで誰かの心に触れたり、未来の自分が読み返したときの糧になるとうれしいです。

縁側トーク「道をつくる」

個と組織のあり方について「道」の概念を使って考える

トーク後の議論

議論や質問は特になし。
博士課程で研究を続けられている凡人さんがご自身の現状を共有いただいたうえで「もっと研究を世の中や人に役立つものに近づけていきたい」と感想を述べてくださいました。予稿やスライドを書きながら、こんな内容は釈迦に説法でしょうーとハラハラでしたので、ご自身の現状を踏まえたコメントをいただけてうれしかったです。
また、itkqさんが自分の予稿を読んでいただいたことに触れてから「WSA研#1 参加目的」を発表されたことにもうれしく思いました。聴きながらじんわりと感動しっぱなし、会に参加をさせてもらってよかったと胸がいっぱいになりました。ありがとうございました。

全体の感想

午後12時過ぎから19:30まで 30分×13名の発表に、参加メンバ全員がフルコミットで向き合っていくというもので、こんなに濃密な学びの場に居合わせたのはいつぶりでしょう。
私は技術者ではないため発表内容の詳細すべてを理解することはできませんが、すべての発表で活発な議論が行われ、その中でみなさんの気づきや次の一歩があちこちで生まれていたことに気づくことができました。
SRE本をお借りして読み進めていたので、時おり聞いたことがあるワードが出てくると、おっ!とメモをしていました。年末年始に技術単語を調べながらみなさんの参加ブログをじっくりと拝読したいと思います。

1人目発表者 masayoshiさんの発表後に、は〜い僕いいですか?とまつもとりーさんが手を挙げて「で、それで、その体系化ができた後にまさよしさんが見たい世界はなんですか?」と問いかけをされたことは強く印象に残っています。
この問いに対する答えはまさよしさんにしか語れないもので、これこそが「道」につながる大切な一歩なのだと思います。問いかけに対するまさよしさんの答えもすごいなぁと感じました。私の手元には質疑応答そのままのメモがあります(言質)。
発表されたみなさんの内容を拝聴しながらずっと「この方がこの先に見たい世界とはなんだろうか」と心中で問うていました。有意義でした。

個人的な振り返り

今回のテーマは越境でした。これまでに降り積もらせた碩学の教えや自分の思いや考えを他者に伝えたいという思いもありました。その機会をゆううきさんにいただいたということになります(感謝)。
なんてことのない予稿文章と稚拙なスライド内容でお恥ずかしいですが、このとっちらかった脳内をまとめることは一苦労でした。
Webの技術に長けたプロのエンジニアやその専門分野を研究する学生の方、研究者が集う場で、自分みたいな人間が伝えられることなんて一つもないし場違いにも程があるだろう >< ゴゴゴゴ...日が近づくにつれて不安が増しました。
予稿内容を確認してもらい、書き直したり伝えたい言葉を探していると、自分の薄っぺらさが露呈して悲しくなりました。自己嫌悪や自信喪失感でいっぱいでした。
既に存在する物事や方法論を編集しながら優先度をつけて記すことも難しいですが、自分の考えや思いを言葉にして別分野の専門家に読んでもらえるようにするというプレッシャーは自分にとってさらに難しいものでした。

ゆううきさんとまさよしさんには予稿を仕上げるまでに「なにを話そう会」として、自分の散乱した脳内をアウトプットして流れをつくる作業に付き合ってもらいました(本当にありがとうございました感謝しています!)。お二人の協力と助言を得てなんとか脳内の混沌を言葉にできて、その直後はよーし!と思うのですが、いざ自分の言葉でストーリーにしようとすると途方に暮れて、不安や自信のなさや卑屈な気持ちが溢れ出て止まらず、グオオグアアあもうだめだ!と困らせてしまったこともありました。いい大人なのに自分の稚拙さが恥ずかしい、いまさらですがごめんなさい。

随分助けてもらい力をもらいました。ゆううきさんには、文章の構成に加えてトーク時の聴講者のイメージを持つこととそこで発表している自分がイメージできればバッチリ!といった助言をいただきました。まさよしさんには文章や発表時の組み立て方や考え方を伝授いただきました。そしてまつもとりーさんには予稿提出直前に、訓練して思考と言語化をできるだけ一致できるようになるといいですねと言葉をいただきました。そうか、みなさん相応に努力し訓練してきているのだなぁ。自分の狭量を恥じます。

予稿提出後、スライドはやっぱり手付かずで、前日22日(金)夜まで進捗ゼロでした。
発表慣れしていない不安とスライドの手が進まないダメ加減のためにいろんな感情がぐるぐるし、秒単位で脳内に寄せ波と引き波が押し寄せていました。

自分がその場でなにを求められていてなにを伝えられるとよいかを少しでも解るために、参加者みなさんの予稿をすべて読ませてもらいました。詳細はわからないながらも「技術を探究したい」「この先をわかりたい」という思いが文面から伝わってきました。このことでやっとスライドに取り掛かれるイメージが湧いてきました。これが 23日(土)深夜24:00を回った頃、なんとか形にできたのが当日 4:30am過ぎ。トーク練習などできるはずもなくぶっつけ本番の有り様でした。
発表中に話をしながら同じことを喋り続けるループに陥らないこと、こいつはなにを言っているんだのバグを踏まないことを祈るばかりでした。

縁側トークについて

WSA研がこう在るとうれしいという勝手な思いを書き挙げるとあのようになりました。これまでの読書体験や自分の考えや見聞きした言葉を借りながら散文的に「個(WSA研のみなさん)」と「組織(WSA研)」に分けて提案するに留まり、綺麗に体系立ててお話ができるまでには至れませんでした。
自分の発表は緊張と空腹であまり覚えていませんが、トーク後のみなさんの反応から自分がループしたりバグらなかったことがわかり本当にホッとしました。伝えたいことは予稿とスライドでおおよそ言えたかな?と思えています。
もしもみなさんが業務や研究や技術について悩んだり考えたり迷うようなことがあれば、そういえばともみーが縁側トークで「道」だとか言っていたな〜と思い出してもらえればこれ以上の喜びはありません。たまにちょっと足が止まっても、またみなさんの道が見通せるようになると幸いです。

みなさんからいただいた感想、コメント、フィードバックはどれも気持ちのこもった温かなもので、とてもとても感動しました。
かけていただいた言葉すべてをここに書いておきたい気がしますが、恥ずかしいので、手元に残します。ちょっとしたコメントまで覚えている自分が気持ち悪いですがこれからの宝物にします。ありがとうございました。みなさんの言葉に恥じないようがんばらなければ。

さいごに

重ねてWSA研#1に参加させてもらえたことに感謝します。楽しい学びの場をいただけてうれしかった。
WSA研#1の場にいた全員が未来を見据えていたなと思います。それは技術そのものやエンジニアとして、WSA研について。どの発表も議論も創造的でわくわくするものでしたし、わたしたちが今から何らかの作用ができるのは未来に向けてだけなのだなと当然のことに気づかされます。

これからのWSA研がどうなっていくか楽しみです。機会があればまた仲間に入れていただけるとうれしいです。

最後の最後まで伴走してくださったゆううきさんとまさよしさん(画像の選別とスライドの貼り付け無事にできました!)にはほんとうに大感謝です。

WSA研#1 縁側トーク ~ 予稿

テーマ

道をつくる

個と組織のあり方について「道」の概念を使って考える

まえがき

わたしが縁側トークをおこなわせていただくきっかけは、こちらのエントリ Web System Architecture研究会の発足と挨拶 - Web System Architecture 研究会 (WSA研) に感化されたからでした。

もう少し詳しくお話をすると、masayoshiさんの「個人的な発足理由と思い」を読み、そのあとウェブシステムの運用自律化に向けた構想 - 第3回ウェブサイエンス研究会 - ゆううきブログで y_uukiさんが考えるウェブシステムとはどういうものかを読みました。お二人のブログにはこれからの展望や技術に対する思いが丁寧に書かれていて、きっとWSA研参加者のみなさんにもそれぞれ技術アイデアや思いがあるのだろうなぁと想像しました。自分は技術者ではないため力になれることはないとわかっていながらも、なにかできないかな応援したいなという気持ちになりました。理由はわたしがなぜだか基盤技術に関心があること、そして上記のブログエントリや日々のお話から垣間見える志が自分の琴線に触れたからだと思います。その一片を拙文 サーバとわたし - Words fly away, the written letter remains. のむすびに記しています。お時間が許せばご一読ください。
もう一つ、これは余談なのですが、自分の興味関心で読んできた碩学たちの思想や考えを自分なりにまとめてみたいという思いがありました。

そんなわけで、これまでもこのテキストを書きながらも、何度も、上述したエントリを読みました。読むたびに、高校時代に読んだ 湯川秀樹旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)の一文を思い出します。

未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である

古きを温ねて

Web System Architecture研究会の発足と挨拶 - Web System Architecture 研究会 (WSA研) に記載があるmasayoshiさんの「この技術分野を勉強するにはどうしたらいいのか?学問になっているのか?体系化されていないのか?」といった考えは、現役技術者のみならず、過去に生きた別分野の科学者や研究者の歴史に見つけられるかもしれません。
おそらく彼らも一人でわからなさと向き合い、孤独に研究生活を続けたのでしょう。そうしてなにかのきっかけで同志に出会い、議論から得られる効果や楽しさを知って研究所や研究会といった機関組織を立ち上げたのでしょう。以下に2つの例を挙げます。

1つめは、物理学者ニールス・ボーアコペンハーゲン大学の研究機関として立ち上げた「ニールス・ボーア研究所」。
ボーアの研究スタイルは柔軟かつ自由で大胆で議論を好みました。彼は実験が苦手で実験機材をしょっちゅう壊してしまうことから、思考実験のひとであったようです。弟子や世界各地から研究者を招き、意見を聞き、彼らと対話しながら理論の再検証をおこなっていました。古典物理学にとらわれず、事実に従って観測した結果はたとえ説明しがたくとも事実として受け入れようとする姿勢でした。ボーアが考える量子力学は、物質や自然はただ一つの状態にとどまらない、確定できないことこそが自然のあり方であるというものでした(のちに量子論の考え方で異論を唱えるアインシュタインと大論争に)。 彼の柔軟でのびのびとした研究スタイルは、研究所のあり方にも反映されました。弟子に伝えた言葉『私が述べるすべての文章は、断定ではなく質問と理解されるべきである』からもボーアの研究に対する姿勢と弟子との関係性が伺えます。今でもニールス・ボーア研究所は諸外国から多くの若手研究者を招いて自由な議論を尊重しています。
ボーアは 77歳で亡くなるまで論文を書き続けたひとでもありました。残した文章は論文のみ、口承による記録でしか彼の思想や考えについて知ることができません。後世に生きるわたしたちにとっては少し残念ですが、それがボーアの生き方でした。

2つめは、湯川博士京都大学基礎理論物理研究所の初代所長となり発足した「混沌会」です。
無口で内向的で目つきの悪い劣等感の人間だと自己分析しながら、湯川博士は基礎物理学を語ることができる議論や発表の場を限定して積極的に参加していました。ダジャレ好きであった湯川先生のエピソードを門下生の記録で読めます。プリンストン高等研究所ではアインシュタインや哲学者 バートランド・ラッセル等と議論を交わし文通し、毎年海外に出向いて(イヤイヤだったようだ)世界中の科学者と交流しました。
基礎物理学研究所では、初代所長ということもあって「基礎物理学とは何か」「基研は何をするところか」を常に考えていたようです。基調講演で基礎物理学の定義について発表をしたり、また素粒子の定義について「1953年ごろから何を基礎として理論体系をつくればいいかわからなくなっている」と苦悩を漏らしていることは印象深いところです。混沌会では研究所の有志を集め、定義についての議論やメンバーの研究進捗などについて意見交換をしていました。基礎物理学研究所所長としての湯川博士の様子も書籍や門下生の記録で読むことができます。
5, 6歳の頃から四書に親しみ、基礎物理学の研究をしながら論文をはじめ新聞や専門誌にたくさんの文章を残して、晩年には生物学に関心を抱き、ロンドン・タイムズを長く購読するひとでした。1966年のノーベル平和賞候補者に推薦されていたことも判明しています。湯川博士について巡らせると、寺田寅彦の一文『「心の窓」はいつでもできるだけ数をたくさんに、できるだけ広くあけておきたいものだ』を体現したひとだなと感じます。

ニールス・ボーア湯川博士ともに新しい発想とひととの関係性を大切に考えていました。ニールス・ボーア研究所、混沌会のどちらも、未来の物理学の発展のために自由な研究と意見交換の場が必要であると考えて設立された点で共通しています。
科学者が立ち上げた機関ではありませんが、1930年に私財で設立されたプリンストン高等研究所にも似た雰囲気を感じます。

新しきを知る

WSA研発足にあたって、上述のような組織になるといいなぁと勝手ながらに妄想していました。自分の知見や経験が、もしかしたら今後のWSA研コミュニティ運営のお役に立てるかもしれないと考えました。それは人事としての業務経験に加えて、自分が読み聞きした科学者や哲学者の研究姿勢や思想/生き方に関する内容です。科学者の研究姿勢や思想を読み解いていくと、老荘思想にある「道」の考えと通ずる気がして、最近とくに興味深く感じています。科学者たちが歩んだ道はわたしたちが自分のスタイルをつくる際のエッセンスになりそうな気がしています。

老荘思想でいう「道」とは、老子の解説本や東洋哲学者の言説を読むと『そのもののあり方(=being) 』『道理』と解釈するのが自然だとされています。論語「里仁第四」にこのような一文があります。

  • 子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
    • 朝にどう生きるかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても後悔はない、という意
    • 自分の道を追求することの大切さを示した言葉。自分の生き方を見つけることはそんなに簡単ではないよ、という意味を含んでいる

学者の思想と哲学の両軸で見ていくと湯川博士は東洋哲学に随分と影響を受けていたことがわかります。『一日生きることは、一歩進むことでありたい』という言葉も「道」を想起する一文です。

アインシュタインに関して言えば、実に自分だけの道を貫いたひとであったと想像します。
アインシュタイン は物理学の研究と同じように芸術を愛しモーツアルトの音楽を愛し、国際平和に強い関心を持っていました。相対性理論の研究に突入した後も近所の子供に勉強を教えることをやめませんでした。こんな言葉を残しています。If you can't explain it to a six years old, you don't understand it yourself.
普段のアインシュタインは、一人の問いの時間を大切にしていました。プリンストン高等研究所時代は、研究所に出向くのは午前中だけで午後は自宅に戻っていました。自宅に時おり科学者を招いてはいたものの、アインシュタインはあまりにも未来を見通していたために他者に理解されず孤独であった、と湯川著書に記されています。

新しい価値を見出したり自分の技術スタイルを確立していくうえで、「道」の考え方をちょこっと知るだけでも、これからのWSA研やみなさんの一助になってくれるのではないか?そんなことを考えています。

現代の情報社会の中ではとても難しいことですが、自分がどのようにあるか/なにをするかの決定権を他者にゆずらない、ということだと思います。

むすび

第1回WSA研には全国から10名を超えるみなさんにお越しいただけると聞いています。参加者は原稿の事前提出とウェブシステムアーキテクチャという共通プロトコルで語りあう以外の指定はなく、多様なバッググラウンドを持つ方々だと伺いました。みなさんはどんな考えで参加を決めたのでしょうか。なぜWSA研に参加をするのか?お聞かせいただけるとうれしいです。みなさんの考えがこれからのWSA研をつくります。

個と集団の関係性を妄想するとき、物理学者 ファインマン博士の言葉を思い出します。こんな素敵な表現を残しています。

意識を持った原子、好奇心をもった物質

私はひとりで浜辺に立ち、考えはじめる。打ち寄せる波がある。
大量の分子が、それぞれ勝手にふるまい、たがいに遠く離れていながら、一緒に白い波をつくっている。それを見る眼が現れるはるか前から、来る年も来る年も、いまと変わらず雷鳴のようにとどろきながら岸辺に打ち寄せていた。
それを楽しむ生命がまったく存在しない死の惑星で、だれのために、何のために。けっして休まず、エネルギーによってねじまげられ、太陽によってひどく目減りさせられながら、空間に流れ込み、その力が海に轟音をたてさせる。深い海の中では、あらゆる分子がたがいのパターンを反復し、やがて新しく複雑なものが形成される。それらは、みずからと似たものをつくり、新しいダンスがはじまる。

大きさと複雑さを増しながら、生きているものが、原子のかたまりが、DNAが、たんぱく質が、さらに複雑なパターンを踊る。
そのゆりかごから出て乾いた陸にあがり、いまここにたっている意識を持った原子、好奇心をもった物質は、あれこれと思いをめぐらすことの不思議さを思いながら海に向かって立つこの私は、原子の宇宙、宇宙のなかの原子なのだ。

Richard Phillips Feynman

「脳のなかの幽霊、ふたたび」より  V.S. ラマチャンドラン

この一節を読んでわたしは人体をイメージしました。
同じ細胞がたくさん集まっても人間にならなかっただろうな。独自の個性と特性を持つ細胞があり、細胞と細胞の役割と関係性がいろんなパターンや秩序を成して、人体を作り出しているのだろうな。じゃあ組織も工学システムも、おそらくはウェブシステムも同じなのだろうな。

一人ではできないことも、多彩な専門性を保つ個が集まって組織になり、それぞれの強みを活かすことで得られ生まれる価値は計り知れません。ならば WSA研の個とは?コミュニティとしてのあり方は?構成員としての個はどうあるとよいのか?
WSA研が構成員にとって実りのあるコミュニティであるために決定的に必要な要素は、個のあり方と関係性と言えるのかもしれません。

なにかしらかの思いを持つ個が集まり、WSA研として組織できたことは、まだ名前がないこの分野にとって新しい価値を生み出す大きな一歩だと思います。同時に参加者みなさんにとってはそれ以上の気づきや成果がもたらされると信じています。
そうなるために必要な個と組織のあり方について「道」の概念を使ってみなさんと考えてみたいと思います。

Web System Architecture 研究会との関わり

  • WSA研発足の場 17年10月開催ペパボ・はてな技術大会#3に運営メンバとして参加
  • WSA研発足の目的や思いを同僚ゆううきさんやまさよしさんから聞いて、自分の思いをぶつぶつしゃべっていたら研究会の場でお話しませんか? と声をかけていただきました

参考書籍

  1. 旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫) 文庫 – 1960/1
  2. 本の中の世界 (岩波新書) 新書 – 1963/7/1
  3. 目に見えないもの (講談社学術文庫) 文庫 – 1976/12/8
  4. 現代物理学の父ニールス・ボーア―開かれた研究所から開かれた世界へ (中公新書) 新書 – 1993/6
    • なお、ボーアは北欧理論物理学研究所の設立(1957年) にも関わる
  5. プリンストン高等研究所物語 単行本 – 2004/11/1
  6. 量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 (新潮文庫) 文庫 – 2017/1/28
  7. 老子 (岩波文庫) 文庫 – 2008/12/16
  8. 論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典) 文庫 – 2004/10/23
  9. 評伝 アインシュタイン (岩波現代文庫) 文庫 – 2005/9/16
  10. Bite-Size Einstein: Quotations on Just About Everything from the Greatest Mind of the Twentieth Century – 2003/4/1
  11. 安冨歩「道とは何か」- 東京大学東洋文化研究所教授
  12. 脳のなかの幽霊 (角川文庫) 文庫 – 2011/3/25
  13. 脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ 単行本 – 2005/7/30

本や文章についてつれづれ

2016年7月に死去された青空書房店主 坂本健一 さんはインタビュアーに「どうして長らく古本屋のオーナーをしているんですか」と訊かれてこう答えたという。

本はいいですよ。まず、本と出会える。本が好きな人と会える。本が好きな人に本を薦めることができる。
人と人が本を通して出会うことができる。

本を通して人と人が関わり合うとはどういうことか。
坂本さんの言葉にある「本」に、インターネット上のブログやインタビュー記事、勉強会のスライドなど、人の考えや思いや経験の足跡が記された「文章」を含めてよいかもしれない。

文章が作り上げる空間には、そこに書き込まれた内容そのものに加えて、言葉を取り巻く人と人との交流がある。著者と読者、登場人物と読者、読者同士の出会いの場所でもある。そしてそれらを通して自分自身と向き合う場。よい文章や言葉と出会うことは自分を知ることだ。

また、よい文章との出会いは私淑をもたらしてくれる。わたしたちは書籍やインターネットの恩恵にあずかり、5年、10年、100年、1000年もっと前に生きた人たちの行動や思想を知ることができる。空間を飛び越え、遠く離れた場所に居るひとの考えや見識を知ることができる。それらの大いなる足跡は、時間や距離による風化作用に耐えて、わたしの生き方や考え方に影響を及ぼしてくれる。

今週はノーベル物理学者 湯川秀樹著書 本の中の世界 (岩波新書)を読んでいた。著者が紹介する科学者とのエピソードや本の存在を知り、その人となりや世界を知り、文章を通して湯川博士のものの見方を感じて静かな気持ちになれた。
湯川博士プリンストン高等研究所滞在中に出会ったという哲学者バートランド・ラッセル著書「ラッセル放談録」への言及は興味深い。以下の一文は、科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)評伝 アインシュタイン (岩波現代文庫) にある考え方と共通していて腑落ちした。

科学と哲学は連続的につながっており、その間にはっきりした一線が引けないし、境界線をつくりたくないのである p.130

湯川博士アインシュタインを語る章も印象的であった。最初は「アインシュタイン」と書いたがそのうち「アインシュタイン博士」「アインシュタイン先生」章の最後では「先生」と記す。
湯川とアインシュタインが文通を通して親交を深めていたことはよく知られているが、アインシュタインを「あまりに遠い未来を見通していたために、他者から理解されず悲哀」と述べ、海を越えて同志を慮っていたことが伝わってきた。アインシュタインを慕う湯川博士の眼差しがここにも感じとれる。

とにもかくにもアインシュタインはいろいろな意味で同時代の大多数の人たちと違っていた。そのためにアインシュタインは孤独であった。
恐らくそれは、飛びはなれて偉大な人物が甘受すべき宿命でもあったのだろう。

アインシュタイン先生が亡くなる二週間前にとある科学史学者が先生のもとを訪れた。(中略)その訪問者が「激しい論争がニュートンの時代の性格だった」と言ったのに対して、先生は「その時代の気風がどうあろうと、それを超越できるのが人間の高貴さというものである」と答えている。
先生はまさに、時代を超えて生きた人であった。
pp.152-153


さいごに物語について書きたい。
これまでなにも考えずに「物語」という言葉を使っていたが、物語の哲学 (岩波現代文庫) を読んで「人間は物語る動物」なのだと知った。文字、口承いずれも含む。
物語とは「出来事、コンテクスト、時系列」この3要件にしたがい、知覚経験を言語行為すること。それは事実のみならず虚構の領域にも及ぶ。
物を見たり音を聴いたり知った事柄について、我々の記憶はなんらかの興味関心に基づいて取捨選択をおこなう。そのあと、一定のコンテクストの中に再配置したり時系列に従って再配列する。そうしてその世界や歴史について語り始めることができる。
知覚体験を解釈的に捉え、語り、人は多様で複雑な経験を整序している。過去の経験、悲しみや喜びといった直接的体験を出来事として物語ることで、現実に対する理解ができるようになるという効用にも触れていた。事実の真理を語る者は現実との和解ができるのだという。

そうかわたしが物語を好む理由は、事実に対する客観的解釈とその背景にある人の思いを知れることにあるのだな。そして物語の、それから?が聞きたいのだ。

本はいいですね。文章を通して人や知らない世界を知り、あちこちを旅することができる。

※このエントリは以前あげた内容を大幅に加筆した。

時間を超えてよいもの、ものの見方

時間を超えてよいものとはなんだろうなぁと巡らせた時に、京都は東山の南禅寺界隈別荘群を紹介したドキュメンタリー番組を思い出す。具体的には、番組に登場した庭師の言葉が記憶に残っている。ずいぶん前の番組で自分の記憶が頼りであるため、内容に齟齬があればご容赦ください。

かつて貴族や華族・財閥により建てられた別荘のいくつかは、そのあと何度もオーナーが変わり、今では海外の財閥企業や富豪の所有下にあるそうだ。美しい邸宅やお庭は人の目に触れず閉じられていて、業者による掃除と季節ごとに庭師が手入れをするだけという現状に嘆く声が寄せられているようだった。そのような状況について番組は庭師さんにマイクを向けた。庭師さんの返事はこうだった。

「一流の価値とこの別荘の美しさがわかる人に受け継ぎたい。オーナーさんの国籍なんかはまったく関係ありません」続けて「わたしは今植えたもみじの苗木が50年後立派に育つように日々大切に育てています」「気温や季節ごとに異なる陽の差し方や葉の具合をみて枝を剪定したり、京都のこの土にちゃんと根付いてすくすくと育つよい木と花を選ぶために全国いろんな土地に出向いています。この庭はそうやって作っています。100年先もそうでしょう」
庭のあちこちを歩き回り、作業着に軍手をつけたままそんなことをお話された。庭師さんの思いがお庭に悠久の時の流れを作り出しているのだった。事に向かうとはこういうことなのだなと思った。要は作り手の思想なのだろう。

常に最新であることに価値があると一概に言えなくなってきた。価値やものが「流行」というワードに乗っかって速いスピードで消費されていくことに対して、ちょっとした抵抗や違和感を感じることも増えてきた。ものの起源や作り手の思想を知り、それを身近に置けばどれくらい長く使うことができるかを考える。作り手の思想に対して賛同できるかは大切な軸だ。もののプライマリメトリックはなに?それは自分にフィットしているの?そんな風にあれこれと吟味し納得ができると実に満足度が高い。ずっと手元に置いていたくなる。

50年、100年先を見据えて庭を設計しメンテナンスをされる庭師さんのものの見方とはどんな風なのだろうか。

長い時間かけて愛着を持ちながら育てたり使うことを前提に、ものの本質を学び、普遍的な価値や魅力を考えたい。作り手の思想や展望が感じ取れる「時間を超えてなおよいもの」を選択したい。そのための審美眼を養い、不要なものは排除する。
時間を超えてよいものは今だけじゃなくもうすこし先の未来を見通して考え選ばれ作られている。作り手の思いや考えを感じて、わたしは経年変化に美しさや愛着を抱く。

「完全なる証明」

完全なる証明

完全なる証明

数学界における7つの難問のうちの1つポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンを描いたノンフィクション作品です。彼が数学の英才教育を受けながら育った旧ソ連での境遇や環境に加え、社会情勢や教育事情が丁寧に紹介されています。読み応え十分。

自分がこの本を手に取った理由は2つありました。
1つは数学界の超難問とされたポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンという人物に対する興味。もう1つは、年齢制限があり受賞が難しいとされるフィールズ賞と100万ドルの賞金をなぜ辞退したのかという疑問です。

グレゴリー・ペレルマン

英才教育を受け、科学や数学の分野で類稀なる才能を発揮するペレルマンは、16歳で数学オリンピックに出場し(当時最年少記録)満点で個人金メダルを受賞するなど、旧ソ連国内では大注目の存在でした。ただし当時の国内情勢は危うく、旧ソ連崩壊の影響もあって、ペレルマンは大学進学を機に米国に渡ります。それでもすぐに物理学のアプローチで数学の証明をおこなうなど斬新奇抜な証明スタイルで注目を集めます。しかしその頃から、世間の情報を遮断し、人と関わることを避けはじめるのでした。
深くひたすらに自分の世界に潜りたい彼にとって、賑やかすぎるアメリカ社会は生きづらかったのかもしれない。はじめのころは自身の証明や成果をアピールする彼でしたが、世間に知られ注目されるほど自分が自分でなくなるような感覚を覚えたのかもしれない。研究生活や学会発表の様子を通して、ペレルマンの人となりが伺い知れるシーンの紹介がいくつかあります。頁を進めるうち、今なお人と関わりを絶って生活するペレルマンにとって、この書籍自体が「放っておいてほしい」と思わせる存在な気がしてすこし申し訳ない気持ちがしました。

フィールズ賞を辞退

本書後半では、ポアンカレ予想の証明を解いた後について描かれます。行き過ぎた取材合戦や裏金などに対する幻滅、ペレルマンの周辺で起こった矛盾を生むだけの拗れた人間行動を細かに紹介しています。彼の世界すべてである数学と向き合う静かな時間と環境。それを「ビジネス化した数学界/ICM委員会」により破壊される一連の描写が緻密で秀逸です。
「人は委員会と対話するんじゃない。人は人と対話するんだ」
そう言って、ICM委員会にポアンカレ予想の証明について講演することをせずフィールズ賞をも辞退し、また2010年にクレイ数学研究所が決めたミレニアム賞も同じく辞退しています。

ペレルマンが求めていたのは目次にあるとおり「説明させ、それに耳を傾けること」だったのでしょう。委員会や世間に囃し立てられるのではなく、情熱を傾けて獲得した自分の新しい数学の世界がちゃんと「人」に理解される。そんな実感がほしかったのかもしれない。

フィールズ賞辞退後、ロシアの小さな街で母とひっそり暮らす彼のもとを訪れたジャーナリストに対し、ペレルマンはこう伝えたと記されています。

  • 「ちょうど友達がほしいと思っていたところでした。それは数学者である必要はありません」

ペレルマンを表現したことばにはこみあげてくるものがあります。

あまりにも才能に恵まれ、あまりにも孤独 (第12章)


著者マーシャ・ガッセンが描くペレルマンは魅力的で、青木薫さんの翻訳も相変わらずすばらしい。読めてよかったと思える1冊でした。
この本を読み終えて「フェルマーの最終定理」最後に記されたアンドリュー・ワイルズの言葉が頭を過りました。その一節を書き留めてこのエントリはおわりにします。

大人になってからも子供のときからの夢を追い続けることができたのは、非常に恵まれていたと思います。これがめったにない幸運だということはわかっています。しかし人は誰しも、自分にとって大きな何かに本気で取り組むことができれば、想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか。この問題を解いてしまったことで喪失感はありますが、それと同時に大きな開放感を味わってもいるのです。
八年間というもの、私の頭はこの問題のことでいっぱいでした。文字通り朝から晩まで、このことばかり考えていましたから。八年というのは、一つのことを考えるには長い時間です。しかし、長きにわたった波乱の旅もこれで終わりました。いまは穏やかな気持ちです。
pp.461-462,フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)