「華胥の幽夢」再読
社会復帰がままなりません食べたらねむいです進捗どうですか(棒)。俺たちの年末年始はまだこれからだ(今週のお題)。
- 作者: 小野不由美
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/12/24
- メディア: 文庫
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新潮文庫「華胥の幽夢」が昨年末発刊しましたね。美しい表紙に惹かれ、講談社版に加えてこちらも購入。年明けから今日まで十二国記シリーズを1日1冊ペースで通読しました。
本作「華胥の幽夢」を読むのは数年いやもっとご無沙汰ぶりで、読後の印象が前回と少し違って感じました。次はまた別の感想を持つかもしれない。今回のメモを備忘録として残します。
なおネタバレを含みます。「華胥の幽夢」または十二国記シリーズをこれから読むよという方はご留意いただきたい。
十二国図(模写)
所要時間約10分、トラックパッドで絵を描いたゼエハァ(なかなかじょうず)。複雑な世界を把握するために地図は大変有益ですね。作品の扉部分にある十二国図を参考にしながら読んでいます。
以下短編ごとに感想を記す。
冬栄
戴。「黄昏の岸 暁の天」関連。王 驍宗に遠路 漣までのおつかいを頼まれて出かける泰麒のお話。泰麒の素直さかわゆさに震える。考えすぎ心配しすぎな気質も健在です。いいこ。
この物語の見所は漣国の廉王と泰麒のやりとりにある。何事においても自信が持てなく「自分はここにいてよいのか。自分は無用の存在で、いれば邪魔になるだけ」な思考癖を持つ泰麒に対し、そのままのあなたでよいではないか?と廉王は言葉を変えて繰り返し伝えます。嵩里時代の泰麒の側にこんな大人が一人でもいればよかったのだろうな。
本編から知る彼の幼少期を思うと不憫でなりませんが、環境や人を変えようとする前にまず自分のふるまいを振り返れる泰麒はえらい。人の意見を素直に聞き、自分とは別の価値観をシャットアウトせずいつだって好意的に受け止める姿勢に背筋が伸びる。
自分の在り方に惑う泰麒に、廉王は麒麟として王や民を見守ることの大事さを説く。読みながらなぜか自分が励まされた気持ちになりました。物語の後半部分では黒田如水の言葉が脳裏を過った。
次作はぜひ驍宗と泰麒のお話を読みたい。本編では特に泰麒のモヤ感がモヤモヤしているしなー気になるなー。
乗月
芳&慶。「風の万里 黎明の空」関連。芳王の娘 祥瓊と陽子がこんなかたちで登場するのがうれしい。
圧政を強いた峯王を想うがゆえに自らの手で王を討った月渓。この物語はいろんな読み方ができますね。私は罪悪感とやるせなさで満ちた月渓の胸の内を解かすお話だと解釈した。
月渓の心情に寄り添い、頑なに鎖した心を解かした慶の将軍(陽子の部下)青辛がとてもいい。月渓との会話の端々に思慮深さ控えめな懐の深さ、景王(陽子)を慕う様子が伺える。以下は青辛が月渓に「人は変われるものだ」というメッセージを伝える言葉。美しい〜。
「恵候(月渓)が崇敬する峯王を討った御自分をとても厭うておられることは、よくわかりました。 たしかに罪は罪なのでしょう。ですが、罪を遠ざけるのも道、罪を悔いて正すことも道でございましょう」 言って、青は園林の上に朧に昇った月を仰いだ。 「陽が落ち、深い闇が道を塞いでも、月が昇って照らしてくれるものです」 p.115
祥瓊が月渓にあてた手紙もよかったなぁ。
月渓の葛藤を描く物語であると同時に青辛を含む王たちを見守る側近の有能さが垣間みれる。王と麒麟だけで国は成らない。
書簡
慶&雁。「月の影 影の海」関連。あーん!陽子!!楽俊!!
お互いが自立し、自分の向かうべき事をしっかりやり、時に相手を思いやれる関係いいなぁ。あえて心配しないし心配をかけない。それでもどちらかが有事のときは人一倍はやく駆けつける。言葉にしないでも伝わっている感じだ。
景王 陽子から届いた文に楽俊が返信した書簡がこれまたよかった。雁の延王と六太(延麒)の様子が垣間見れたのもうれしい。
いやー陽子と楽俊ファンにはたまらんですな。景麒の世話焼きぶりもちら見できるし最初から最後まで私得のお話にちがいない。
華胥
才。一国の繁栄から衰退がこの物語ですべて描かれている。ただただ悲しいという感想を持った。一過性のビジネス書やマネジメントノウハウ本を読むならこの物語を繰り返して読んでいたい。そう思う。
全体を通して重めで希望もなく切なさでいっぱいになる。誰も悪くない。王や側近たちが「これが理想である」「今の自分たちは正しく進んでいる」そんな自らの価値観や確信を疑わなかったことが国を滅ぼす原因となってしまったのだった。采麟が病んでなお、自分たちの道を疑わず修正しようとしなかった。優秀な集団ゆえの過ちだった。
感性、価値観、意識、感覚が似た者同士は 寄れば居心地がよいし楽しいだろう。最初はそれでいい。一方で多面的な視点や意見・多様性を受け入れる寛容さを損ないがちになるし、新たな価値や創造に気付けない。自分たちとは別の集団が持つ気付きや傷・溝を感知できない。そうしているうちに治療のタイミングが遅れ、傷が広がり、致命傷に至る。命を落とすまで最初の小さな傷や溝に気付けないとしたら悲劇だなぁ。そういう意味で采麟は被害者だ。
采王が自身の最期の決断をするシーンはギリギリ持ちこたえたが、栄祝が朱夏のもとを去った場面で涙腺崩壊必至でした。「責難は成事にあらず」慎思の言葉が胸を打つ。
この短編集の主軸となるお話。
帰山
奏国王の次男 利広と、風漢こと雁のあの方が遭遇するお話。わーいわたし歓喜!
本書の中で「帰山」はオマケ的な印象がありました。しかし改めて読んでみると、超すご腕ストーリーテラーが王と麒麟・国の成り立ちを語ってくれるサイドストーリーであることが分かる。本編では十二国の歴史について客観性を担保したこんな語られ方はしない。
帰山を読み終えて先の4つの短編がますます活きる。この物語があるから「華胥の幽夢」を通読し、しみじみよかったなぁという気持ちになれた。もしも最後のお話が「華胥」だとしたら気持ちのやり場に困ってしまいそう。
登場人物メインの風来坊二人がとにかく紳士的で機知に富むナイスガイでついていきたい。延王 尚隆のよっしゃみなさんオレに任せとけどや感ぜんぜん嫌じゃない。文姫ちゃんは先の華胥にも登場しますね。本編の主要人物を別の角度から見て取れる楽しい展開だ。
利広を囲む奏国王の家族風景もほほえましくてなごんだ。自分が変わっていないことを確認するために放浪の旅から帰山する。そんな利広のありようが、自分の帰省のタイミングと重なり親近感がわいた。
まとめ
小野不由美さんはすごい作家だなぁ。年明けからよい読書ができてしあわせだ。
一気に書いたもんだから疲れた。支離滅裂でしょ。書き慣れてなさ・筆力のなさを痛感する。
そういえば先日読んだスティーブン・キング著「書くことについて」に、書く力をつけるにはたくさん読んでたくさん書くことだ、とあった。そうなのかー。うまくなりたいものです。