「完全なる証明」

完全なる証明

完全なる証明

数学界における7つの難問のうちの1つポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンを描いたノンフィクション作品です。彼が数学の英才教育を受けながら育った旧ソ連での境遇や環境に加え、社会情勢や教育事情が丁寧に紹介されています。読み応え十分。

自分がこの本を手に取った理由は2つありました。
1つは数学界の超難問とされたポアンカレ予想を証明したグレゴリー・ペレルマンという人物に対する興味。もう1つは、年齢制限があり受賞が難しいとされるフィールズ賞と100万ドルの賞金をなぜ辞退したのかという疑問です。

グレゴリー・ペレルマン

英才教育を受け、科学や数学の分野で類稀なる才能を発揮するペレルマンは、16歳で数学オリンピックに出場し(当時最年少記録)満点で個人金メダルを受賞するなど、旧ソ連国内では大注目の存在でした。ただし当時の国内情勢は危うく、旧ソ連崩壊の影響もあって、ペレルマンは大学進学を機に米国に渡ります。それでもすぐに物理学のアプローチで数学の証明をおこなうなど斬新奇抜な証明スタイルで注目を集めます。しかしその頃から、世間の情報を遮断し、人と関わることを避けはじめるのでした。
深くひたすらに自分の世界に潜りたい彼にとって、賑やかすぎるアメリカ社会は生きづらかったのかもしれない。はじめのころは自身の証明や成果をアピールする彼でしたが、世間に知られ注目されるほど自分が自分でなくなるような感覚を覚えたのかもしれない。研究生活や学会発表の様子を通して、ペレルマンの人となりが伺い知れるシーンの紹介がいくつかあります。頁を進めるうち、今なお人と関わりを絶って生活するペレルマンにとって、この書籍自体が「放っておいてほしい」と思わせる存在な気がしてすこし申し訳ない気持ちがしました。

フィールズ賞を辞退

本書後半では、ポアンカレ予想の証明を解いた後について描かれます。行き過ぎた取材合戦や裏金などに対する幻滅、ペレルマンの周辺で起こった矛盾を生むだけの拗れた人間行動を細かに紹介しています。彼の世界すべてである数学と向き合う静かな時間と環境。それを「ビジネス化した数学界/ICM委員会」により破壊される一連の描写が緻密で秀逸です。
「人は委員会と対話するんじゃない。人は人と対話するんだ」
そう言って、ICM委員会にポアンカレ予想の証明について講演することをせずフィールズ賞をも辞退し、また2010年にクレイ数学研究所が決めたミレニアム賞も同じく辞退しています。

ペレルマンが求めていたのは目次にあるとおり「説明させ、それに耳を傾けること」だったのでしょう。委員会や世間に囃し立てられるのではなく、情熱を傾けて獲得した自分の新しい数学の世界がちゃんと「人」に理解される。そんな実感がほしかったのかもしれない。

フィールズ賞辞退後、ロシアの小さな街で母とひっそり暮らす彼のもとを訪れたジャーナリストに対し、ペレルマンはこう伝えたと記されています。

  • 「ちょうど友達がほしいと思っていたところでした。それは数学者である必要はありません」

ペレルマンを表現したことばにはこみあげてくるものがあります。

あまりにも才能に恵まれ、あまりにも孤独 (第12章)


著者マーシャ・ガッセンが描くペレルマンは魅力的で、青木薫さんの翻訳も相変わらずすばらしい。読めてよかったと思える1冊でした。
この本を読み終えて「フェルマーの最終定理」最後に記されたアンドリュー・ワイルズの言葉が頭を過りました。その一節を書き留めてこのエントリはおわりにします。

大人になってからも子供のときからの夢を追い続けることができたのは、非常に恵まれていたと思います。これがめったにない幸運だということはわかっています。しかし人は誰しも、自分にとって大きな何かに本気で取り組むことができれば、想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか。この問題を解いてしまったことで喪失感はありますが、それと同時に大きな開放感を味わってもいるのです。
八年間というもの、私の頭はこの問題のことでいっぱいでした。文字通り朝から晩まで、このことばかり考えていましたから。八年というのは、一つのことを考えるには長い時間です。しかし、長きにわたった波乱の旅もこれで終わりました。いまは穏やかな気持ちです。
pp.461-462,フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)