WSA研#1 縁側トーク ~ 予稿「道をつくる」
テーマ
道をつくる
個と組織のあり方について「道」の概念を使って考える
まえがき
わたしが縁側トークをおこなわせていただくきっかけは、こちらのエントリ Web System Architecture研究会の発足と挨拶 - Web System Architecture 研究会 (WSA研) に感化されたことでした。
もう少し詳しくお話をすると、masayoshiさんの「個人的な発足理由と思い」を読み、そのあとウェブシステムの運用自律化に向けた構想 - 第3回ウェブサイエンス研究会 - ゆううきブログで y_uukiさんが考えるウェブシステムとはどういうものかを読みました。お二人のブログにはこれからの展望や技術に対する思いが丁寧に書かれていて、きっとWSA研参加者のみなさんにもそれぞれ技術アイデアや思いがあるのだろうなぁと想像しました。自分は技術者ではないため力になれることはないとわかっていながらも、なにかできないかな応援したいなという気持ちになりました。理由はわたしがなぜだか基盤技術に関心があること、そして上記のブログエントリや日々のお話から垣間見える志が自分の琴線に触れたからだと思います。その一片を拙文 サーバとわたし - Words fly away, the written letter remains. のむすびに記しています。お時間が許せばご一読ください。
もう一つ、これは余談なのですが、自分の興味関心で読んできた碩学たちの思想や考えを自分なりにまとめてみたいという思いがありました。
そんなわけで、これまでもこのテキストを書きながらも、何度も、上述したエントリを読みました。読むたびに、高校時代に読んだ 湯川秀樹著 旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)の一文を思い出します。
未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である
古きを温ねて
Web System Architecture研究会の発足と挨拶 - Web System Architecture 研究会 (WSA研) に記載があるmasayoshiさんの「この技術分野を勉強するにはどうしたらいいのか?学問になっているのか?体系化されていないのか?」といった考えは、現役技術者のみならず、過去に生きた別分野の科学者や研究者の歴史に見つけられるかもしれません。
おそらく彼らも一人でわからなさと向き合い、孤独に研究生活を続けたのでしょう。そうしてなにかのきっかけで同志に出会い、議論から得られる効果や楽しさを知って研究所や研究会といった機関組織を立ち上げたのでしょう。以下に2つの例を挙げます。
1つめは、物理学者ニールス・ボーアがコペンハーゲン大学の研究機関として立ち上げた「ニールス・ボーア研究所」。
ボーアの研究スタイルは柔軟かつ自由で大胆で議論を好みました。彼は実験が苦手で実験機材をしょっちゅう壊してしまうことから、思考実験のひとでした。弟子や世界各地から研究者を招き、意見を聞き、彼らと対話しながら理論の再検証をおこなっていました。古典物理学にとらわれず、事実に従って観測した結果はたとえ説明しがたくとも事実として受け入れようとする姿勢でした。ボーアが考える量子力学は、物質や自然はただ一つの状態にとどまらない、確定できないことこそが自然のあり方であるというものでした(のちに量子論の考え方で異論を唱えるアインシュタインと大論争に)。 彼の柔軟でのびのびとした研究スタイルは、研究所のあり方にも反映されました。弟子に伝えた言葉『私が述べるすべての文章は、断定ではなく質問と理解されるべきである』からもボーアの研究に対する姿勢と弟子との関係性が伺えます。今でもニールス・ボーア研究所は諸外国から多くの若手研究者を招いて自由な議論を尊重しています。
ボーアは 77歳で亡くなるまで論文を書き続けたひとでもありました。残した文章は論文のみ、口承による記録でしか彼の思想や考えについて知ることができません。後世に生きるわたしたちにとっては少し残念ですが、それがボーアの生き方でした。
2つめは、湯川博士が京都大学基礎理論物理研究所の初代所長となり発足した「混沌会」です。
無口で内向的で目つきの悪い劣等感の人間だと自己分析する湯川博士は、基礎物理学を語ることができる議論や発表の場を限定して積極的に参加していました。ダジャレ好きであった湯川先生のエピソードを門下生の記録で読めます。プリンストン高等研究所ではアインシュタインや哲学者 バートランド・ラッセル等と議論を交わし文通し、毎年海外に出向いて(イヤイヤだったようだ)世界中の科学者と交流しました。
基礎物理学研究所では、初代所長ということもあって「基礎物理学とは何か」「基研は何をするところか」を常に考えていたようです。基調講演で基礎物理学の定義について発表をしたり、また素粒子の定義について「1953年ごろから何を基礎として理論体系をつくればいいかわからなくなっている」と苦悩を漏らしていることは印象深いところです。混沌会では研究所の有志を集め、定義についての議論やメンバーの研究進捗などについて意見交換をしていました。基礎物理学研究所所長としての湯川博士の様子も書籍や門下生の記録で読むことができます。
5, 6歳の頃から四書に親しみ、基礎物理学の研究をしながら論文をはじめ新聞や専門誌にたくさんの文章を残して、晩年には生物学に関心を抱き、ロンドン・タイムズを長く購読するひとでした。1966年のノーベル平和賞候補者に推薦されていたことも判明しています。湯川博士について巡らせると、寺田寅彦の一文『「心の窓」はいつでもできるだけ数をたくさんに、できるだけ広くあけておきたいものだ』を体現したひとだなと感じます。
ニールス・ボーア、湯川博士ともに新しい発想とひととの関係性を大切に考えていました。ニールス・ボーア研究所、混沌会のどちらも、未来の物理学の発展のために自由な研究と意見交換の場が必要であると考えて設立された点で共通しています。
科学者が立ち上げた機関ではありませんが、1930年に私財で設立されたプリンストン高等研究所にも似た雰囲気を感じます。
新しきを知る
WSA研発足にあたって、上述のような組織になるといいなぁと勝手ながらに妄想していました。自分の知見や経験が、もしかしたら今後のWSA研コミュニティ運営のお役に立てるかもしれないと考えました。それは人事としての業務経験に加えて、自分が読み聞きした科学者や哲学者の研究姿勢や思想/生き方に関する内容です。科学者の研究姿勢や思想を読み解いていくと、老荘思想にある「道」の考えと通ずる気がして、最近とくに興味深く感じています。科学者たちが歩んだ道はわたしたちが自分のスタイルをつくる際のエッセンスになりそうな気がしています。
老荘思想でいう「道」とは、老子の解説本や東洋哲学者の言説を読むと『そのもののあり方(=being) 』『道理』と解釈するのが自然だとされています。論語「里仁第四」にこのような一文があります。
- 子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
- 朝にどう生きるかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても後悔はない、という意
- 自分の道を追求することの大切さを示した言葉。自分の生き方を見つけることはそんなに簡単ではないよ、という意味を含んでいる
学者の思想と哲学の両軸で見ていくと湯川博士は東洋哲学に随分と影響を受けていたことがわかります。『一日生きることは、一歩進むことでありたい』という言葉も「道」を想起する一文です。
アインシュタインに関して言えば、実に自分だけの道を貫いたひとであったと想像します。
アインシュタイン は物理学の研究と同じように芸術を愛しモーツアルトの音楽を愛し、国際平和に強い関心を持っていました。相対性理論の研究に突入した後も近所の子供に勉強を教えることをやめませんでした。こんな言葉を残しています。If you can't explain it to a six years old, you don't understand it yourself.
普段のアインシュタインは、一人の問いの時間を大切にしていました。プリンストン高等研究所時代は、研究所に出向くのは午前中だけで午後は自宅に戻っていました。自宅に時おり科学者を招いてはいたものの、アインシュタインはあまりにも未来を見通していたために他者に理解されず孤独であった、と湯川著書に記されています。
新しい価値を見出したり自分の技術スタイルを確立していくうえで、「道」の考え方をちょこっと知るだけでも、これからのWSA研やみなさんの一助になってくれるのではないか?そんなことを考えています。
現代の情報社会の中ではとても難しいことですが、自分がどのようにあるか/なにをするかの決定権を他者にゆずらない、ということだと思います。
むすび
第1回WSA研には全国から10名を超えるみなさんにお越しいただけると聞いています。参加者は原稿の事前提出とウェブシステムアーキテクチャという共通プロトコルで語りあう以外の指定はなく、多様なバッググラウンドを持つ方々だと伺いました。みなさんはどんな考えで参加を決めたのでしょうか。なぜWSA研に参加をするのか?お聞かせいただけるとうれしいです。みなさんの考えがこれからのWSA研をつくります。
個と集団の関係性を妄想するとき、物理学者 ファインマン博士の言葉を思い出します。こんな素敵な表現を残しています。
意識を持った原子、好奇心をもった物質 私はひとりで浜辺に立ち、考えはじめる。打ち寄せる波がある。 大量の分子が、それぞれ勝手にふるまい、たがいに遠く離れていながら、一緒に白い波をつくっている。それを見る眼が現れるはるか前から、来る年も来る年も、いまと変わらず雷鳴のようにとどろきながら岸辺に打ち寄せていた。 それを楽しむ生命がまったく存在しない死の惑星で、だれのために、何のために。けっして休まず、エネルギーによってねじまげられ、太陽によってひどく目減りさせられながら、空間に流れ込み、その力が海に轟音をたてさせる。深い海の中では、あらゆる分子がたがいのパターンを反復し、やがて新しく複雑なものが形成される。それらは、みずからと似たものをつくり、新しいダンスがはじまる。 大きさと複雑さを増しながら、生きているものが、原子のかたまりが、DNAが、たんぱく質が、さらに複雑なパターンを踊る。 そのゆりかごから出て乾いた陸にあがり、いまここにたっている意識を持った原子、好奇心をもった物質は、あれこれと思いをめぐらすことの不思議さを思いながら海に向かって立つこの私は、原子の宇宙、宇宙のなかの原子なのだ。 Richard Phillips Feynman 「脳のなかの幽霊、ふたたび」より V.S. ラマチャンドラン
この一節を読んでわたしは人体をイメージしました。
同じ細胞がたくさん集まっても人間にならなかっただろうな。独自の個性と特性を持つ細胞があり、細胞と細胞の役割と関係性がいろんなパターンや秩序を成して、人体を作り出しているのだろうな。じゃあ組織も工学システムも、おそらくはウェブシステムも同じなのだろうな。
一人ではできないことも、多彩な専門性を保つ個が集まって組織になり、それぞれの強みを活かすことで得られ生まれる価値は計り知れません。ならば WSA研の個とは?コミュニティとしてのあり方は?構成員としての個はどうあるとよいのか?
WSA研が構成員にとって実りのあるコミュニティであるために決定的に必要な要素は、個のあり方と関係性と言えるのかもしれません。
なにかしらかの思いを持つ個が集まり、WSA研として組織できたことは、まだ名前がないこの分野にとって新しい価値を生み出す大きな一歩だと思います。同時に参加者みなさんにとってはそれ以上の気づきや成果がもたらされると信じています。
そうなるために必要な個と組織のあり方について「道」の概念を使ってみなさんと考えてみたいと思います。
Web System Architecture 研究会との関わり
参考書籍
- 旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫) 文庫 – 1960/1
- 本の中の世界 (岩波新書) 新書 – 1963/7/1
- 目に見えないもの (講談社学術文庫) 文庫 – 1976/12/8
- 現代物理学の父ニールス・ボーア―開かれた研究所から開かれた世界へ (中公新書) 新書 – 1993/6
- なお、ボーアは北欧理論物理学研究所の設立(1957年) にも関わる
- プリンストン高等研究所物語 単行本 – 2004/11/1
- 量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 (新潮文庫) 文庫 – 2017/1/28
- 老子 (岩波文庫) 文庫 – 2008/12/16
- 論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典) 文庫 – 2004/10/23
- 評伝 アインシュタイン (岩波現代文庫) 文庫 – 2005/9/16
- Bite-Size Einstein: Quotations on Just About Everything from the Greatest Mind of the Twentieth Century – 2003/4/1
- 安冨歩「道とは何か」- 東京大学東洋文化研究所教授
- 脳のなかの幽霊 (角川文庫) 文庫 – 2011/3/25
- 脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ 単行本 – 2005/7/30