読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学びと問い

2016年7月に死去された青空書房店主 坂本健一 さんはインタビュアーに「どうして長らく古本屋のオーナーをしているんですか」と訊かれてこう答えたという。

本はいいですよ。まず、本と出会える。本が好きな人と会える。本が好きな人に本を薦めることができる。
人と人が本を通して出会うことができる。

物語や文章を通して、人と人が関わり合うとはどういうことか。

物語が作り上げる空間は、そこに書き込まれた内容そのものに加えて、言葉を取り巻く人と人との交流がある。著者と読者、登場人物と読者、読者同士の出会いの場でもある。そしてそれらを通して自分自身と向き合う場。よい文章や言葉と出会うことは、自分を知ることだといえそう。
よい文章との出会いは私淑をもたらしてくれる。わたしたちは書籍やインターネットの恩恵にあずかり、10年、100年、200年、1000年もっと前に生きた人たちの行動や思想を知ることができる。空間を飛び越え、遠く離れた場所に居るひとの考えや見識を知ることができる。それらの大いなる足跡は、時間や距離がもつ風化作用に耐えて、わたしたちの生き方や考え方に大きな影響を及ぼしてくれる。
ちょうど先日、約1900年前に生きたマルクス・アウレリウス自省録を読み終えたばかりです。響く言葉がたくさんでいくつもノートに書き留めた。

伝えること、書き残すこと

わたしは資格取得に必要となる修了証を得るために専門学校に通学した。どんなにお金を払い決められた時間に通学しようとも、成長は自動的できるものではないということを経験を通して知った。卒業テストも修了証もきっかけでしかない。
得た学びを継続し何らかの形で表現すること。それこそが学びを意味あるものにする。
伝えることで、近しい分野に関心を持つ他者から別の新たな視点や考えを教えてもらえるといった副次的な効果が得られることはよく聞かれる。自分の発信にリアクションがあるというのは、経験してみると代え難い充足感があるのね。そこから自分の中で新たな気づきがうまれるかもしれない。自分も誰かに向けて書きたくなるかもしれない。未来の自分に向けて書いてみる楽しさを知るかもしれない。脳は自分が考えたり思っていることを一度外に出さないと自覚できないらしい。文や絵や人に話すことで初めて自分はこう思っていたのかと整理される。書きながら話ながら、新たな疑問や考えがうまれるかもしれない。
この人にはこの場所にはと思える時には「こんなことを知れた」「こう感じたのだ」をがんばって伝えたい。

問いつづけること

そして、そのうえで。3年後どうしていたい?5年後どうありたい?どんな人生をおくるのか?自らの問いを持ち続けたい。
そのためには日頃から経年変化に耐えうる普遍的な思想に親しみ、自問自答し、「こういうことを知ったよ」「自分はこう思うけどどうか」を言葉にし伝えることを諦めてはいけない。自分がありたい姿になれるよう、生き方を間違えないよう、恥じない自分でいられるよう、誰かにちゃんと見てもらい間違いがあれば指摘してほしい。問いをせず伝えることをしないで、ただ他者の同意や期待通りに生きたら、他人の人生になってしまう。自分の生き方は自分しかその舵を握っていない。自分はいまで大丈夫?

つらいときしんどいとき元気がでない時は幾度となく言葉に助けられてきた。古い本の著者から、物語の登場人物から、ブログの書き手さんから、身近な人たちの考え方から。どれも思索や試行錯誤の過程を伺うことができる内容でわたしに力をくれた。誰かが書き残したり伝えてくれたから、救われたなぁと思う。
ひとは自分が与り知らないところで誰かを変える可能性を秘めている。伝えたり自問自答を繰り返した軌跡が、時間や距離を超えて、自分や他者の学びに繋がるとうれしい。