議論を諦めない

すこし前にとあるイベントに参加させてもらったときのことを書きます。

こじんまりとした座談会が企画されていた。6~7人が集って仕事観や業務について話をするといったテーマで、そこで聞いたまつもとりーさんの「議論を諦めない」この一言がわたしの心を掴んで離さない。伝えることを諦めない、といえるのかもしれない。機密情報に抵触しない範囲でどのようなものであったかをお話したい。

ある方がまつもとりーさんに向けて質問をされた。「あなたがやっている学術研究を企業で実践に導入するという取り組みは、外から見えづらく、貢献度の判断が難しいのではないか。どういう働きかけをされているのだろうか」
質問に対する回答はこうだった。メモ書きなので意訳してあり、文脈をすこし変更しています。ご容赦ください。

  • 周りのメンバーに常に相談をして答えや評価を出している(出してもらっている)ことが多い
  • 自分の役割は、小手先の技術ではなく新規性のある価値を考え、作り込み、それを作って支えられる体制や文化、環境、組織すべてをつくることだと思っている
  • そのためにはいろんなポジションのひとと話をする。「新しい価値やよいものを提供したい」という想いは、ポジションが異なっても同じだ。アプローチが異なるだけ
  • 想いや目的が同じなのだから、それぞれの立場でどれだけ議論できるかを重視している。自分だけの利益を押し付けるような体制にはなってないしそうはさせない。バランスがだいじだ
  • 自分はこれまでの経験から、多角的な視点でものごとを見て考える訓練をしてきた。いまもそういう研究のしかたを重視している。まだまだ未熟ではあるがこれからの姿勢もそうありたい
  • 新規性のあるイケている価値をつくるために、技術を高め、議論を諦めない。その姿勢が大切だと信じている

問いかけに対し、まつもとりーさんは時間をかけてそれはとても丁寧に説明をされていた。いま思うと、わたしは言葉だけじゃなく、言葉を尽くして説明しようとされるその姿勢に胸を打たれたのだ。

以前よりid:matsumoto_rさんのブログ 人間とウェブの未来を拝読したり y_uukiさんからお人柄について伝え聞いていたことで、まつもとりーさんがこれまでどんな経験を積まれてきたかについて少し知り得ていた。壁にぶち当たる度に試行錯誤し考え悩み、それでも困難から逃げることをせずに努力してこられたのだなぁ。そんな印象を抱いていた。丁寧に言葉を使い軽薄な表現をしない方だなと感じていた。
またこちらのエントリ 研究者と技術者の狭間で感じた事 - 情熱が自分を変えるで、おうちで研究を進めることについて「ああ...1人だなぁと思っていました」と書かれていた。孤独であっても灰色の雲の上の光を見据えて一歩一歩進んでこられたのだろう。エントリの終盤に『自分が研究・開発を継続的に行う事ができたもう一つの大きな要因として「人の言葉」があります』との一節がある。
別の場所で拝見したまつもとりーさんの発表資料には「口だけにはなりたくない」との記載があった。
そうか、この方は自分の想いや考えを熱心に諦めず伝え続けてきたのだなぁ。そこから得たフィードバックを謙虚に受け入れ、さらに洗練させて、人との関係性の中でご自身や技術を研鑽されてきたのだろうなぁと想像できた。
「議論を諦めない」その言葉の裏側にある意思にわたしは心を掴まれたのだなー。

思うことがあっても伝えることを諦めがちだった。うまくちゃんと伝えられないから..と言い訳をしていた。自信がないのも理由のひとつだ。あとになって、自分を伝えられない不甲斐なさで、悲しくなったりやりきれない思いをしてきた。苦虫を噛むような気持ちが交じることもある。表面的によしなに楽にスピーディ(自分はぜんぜんスピード感がないけど)に、その場しのぎで過ごしてきたことが情けなく恥ずかしい。
心が揺れるとき雨に救われることだってあったはず。悔しさや悲しみのなかにいるときに見た景色は鮮明なものではなかった。支えてくれた言葉はなんだったろうか。毎日が美しくなくても晴れやかじゃなくてもよいのだと思う。

響く言葉とは表面的に耳障りのよいことばではなく思想や美学なのかもしれない。今までに見てきた景色、考えてきたこと、その深さや広さ、辛かったこと、感じたこと、喜び、悲しみ、苦労、劣等感すべてをひっくるめた生き方が、表現や声色を経由して相手に伝わる。

たどたどしくても疎まれても恥ずかしくても不器用でも時間がかかってもしんどくても、いま自分のなかにある考えや想いを言葉にして伝えるしかないのだ。じゃないとずっと同じ自分で存在することになってしまう。

伝えることを諦めない。そんなシンプルなことに気づかされてほっとした。