読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2016年

あけましておめでとうございます。

金沢で穏やかに新年を迎えることができました。雪はなく暖かな冬です。
手製のおせち(食べたいメニューを厳選した)とオードブルを囲んで、Pat Metheny GroupをBGMにのんびりと過ごしています。自由です。

仕事面について、これまで長らくほぼ一人で現場をやりくりさせてもらってきました。ありがたいことに昨春メンバーが増え、心身ともに余裕ができたことで、すこし自分の目線が変わったように思います。とはいえまだまだ周りには迷惑をかけていて助けてもらい通し。大切だと思う人や事に恥じないよう、引き続き精進します。

昨年は春先まで脳内が仕事と不安でいっぱいで、ほぼ自分の生活や時間に気を回すことができませんでした。繁忙がすこし落ち着いた頃かな、ふと自分の感受性が失われてしまったのではないかと愕然とすることがありました。「なんのために生きているか」を考えて途方に暮れてしまった。いや、ことあるごとに脳裏に浮かぶけれど「こたえを求めないよう注意を払いながら折に触れて考えている気がする。しかしその度にすごく虚無な気持ちになって、それでいつも考えることをやめてしまう」が正しいかな。
梅雨あたりは、これからどうしよう&わたしの感受性やばいとぐるぐるしていたように思います。波照間島への一人旅を具体的に計画し始めたのもこの時期でした。
日常からすこし離れ、波照間島に出向いたことは実り多き体験となりました。このことはまた別のエントリに書かなくちゃ。
一人になったことで、自分は一人じゃないのだなあと当たり前だけれど感じることができました。海しかない場所で、予想以上にいろいろな収穫を得ることができました。「形」として持ち帰れたものは一つもありません。大事なことは目に見えない、とサン=テグジュペリが書いているとおり。

毎日は常に流れていき、さまざまな経験と忘却を重ねながら、それを生きていることだと思って過ごしています。なんのために生きているか。このような思考の散歩をはじめると、どんどん落ち込んで、すべてのことが観念的で意味を見出すこと自体が無意味じゃないかと思えてきます。なにかのために生きていてもいなくてもどちらでも、生きていればよい。そんな心持ちで今は生きています。

数年がかりでこの学習に身を投じてみようと思える見通しをこのひと月でやっとfixすることができました。
今年は学びに気持ちを傾けたいと思います。身近なみんなの健康と食べること(生きがい)はもちろん。それから、本も読みたい。今までと同様にできるだけ喧騒から離れた場所に自分を置いていたいです。自分が思うことは言葉にしてちゃんと伝えたい。人の意見や評価は素直に受け取る。書き出すといろいろと出てくるな。歳を重ねても「こうありたい」がたくさん出てくるのは良しですね。時間が人に降り積もっている感じがする。
ものごとが現実化する過程での心がけはずっと意識してきました。最近はますますその気持ちが強まっています。以下に書き留めて、新しい年のエントリとします。

押し寄せる感情の波をやさしく受け入れ、ひとつひとつの出来事に心を動かしても奪われることはなく

つらぬく強い意志などとかいうものはあまり考えないようにして できる限りのやさしい視線で遠くの方に静かな見通しを持ち続けること

本年もどうぞよろしくおねがいいたします。