ピンボケ写真もわりと好き

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ドラえもんがのび太くんに伝えることばで「そうやって待っているのも 楽しみのひとつじゃないか」というのがあります。Twitterを眺めていたら流れてきました。へー。

わからないことはタイピングすればヒントや解が難なく得られるし、だいたいのものは買おうと思えばボタンひとつで今すぐ購入できる。人と会う調整だって携帯電話という便利機器があるおかげで(こんな言い方をすると昔々あるところにいるおばあさんみたいだ)直でしゃべることなく空き時間にメールすればよいし。「○時に着くよ」「遅れそう」のワンセンテンスで、待つ不安や待たせる心配なくスムースにことが運ぶ。ちょうべんり。はやい。

しかしたまに、携帯電話やPCを持っていなかった時のことを思い出す。
約束時間を過ぎて待っていたら ハァハァ走ってきてくれて、それだけで遅れた理由なんてどうでもいいわと思えたことだとか。課題で読んでいた詩人(リルケでしたかな)の半生を調べるために図書館まで自転車45分の道のりを走った夏の暑さとか。
どうってことのないひとコマなのにその時の気持ちや感覚が残って消えない。不思議です。

便利さが高まれば豊かさや楽しさの質が変わる。それを観察したいからどんどん便利になってほしい。一方で、気付きづらいけれど、余白(なにも記されないまま白く残ってる)のようなものごとが そこはかとなく保持している価値も見過ごさないでいたい。
時間が人のうえに積もるその過程を味わい楽しみたい。うーんうまく言語化できないのが悲しい。

以前 NHKで京都東山の南禅寺周辺に群する天下無双の別荘を紹介する番組がありました。その中で一人の庭師さんが「今植えたもみじの苗木が50年後 立派に育つように、明日も明後日も大切に育てる」と話していたのが印象に残っている。いろいろなものを受入れて、こうやって京都がいとなまれていくんだなぁと。
前だけを見て先へ進もうとする意志は必要ですが、前に進むだけではなく、靴ひもを結んだり雨やどりをしながらそこで見える景色も楽しめるといいなーと思う。

ドラちゃんのことばをきっかけにだらだらと書いてしまった。