9/14(木) St. Moritz > Zermatt

3日目。移動の日。
今回の旅で訪れている場所は、旅行会社に勤める兄弟の助言と協力を得てプランニングしました。「スイス、予算はこれだけ。自然が綺麗でここは行っておけをぜんぶ」とオーダーし、素晴らしい場所を指定してくれたものの、ちょっと盛り込みすぎたと3日目にして痛感。RPGのキャラになりクエスト攻略みたいな気分になってきましたが残りも楽しくがんばろう。

St. Moritz > Zermatt


Glacier Expressを利用して 8:02am, St. Moritz発、16:10pm, Zermatt 着の8時間鉄道の旅をしてきました。
Churあたりまで晴天に恵まれ、透き通った青空と峠の景観を楽しみながら隣席になった60代くらいかな?のイタリア出身スイス在住のおじさまとおしゃべり。Andermattでおじさまとさよならをしたあと急に荒天し、それからは寒いわ雪が降るわでたいへん。Glacier Expressは停車時間が長い駅があるようで、停車中にちょっとホームに出てみたら寒くて凍えた。Furka峠は雪で車両通行止めになったと聞きました。車で峠を越えることができなくなった人々が鉄道に切り替えたのか、途中から車中がやけにざわざわして落ち着きませんでした。車中に5時間もいるとそれはそれで疲労しますね。Zermattまでの数時間は無感情で寝たり起きたりして過ごしました。
ヨーロッパで鉄道の旅をしてみたいと思っていたので達成できてよかった。これでもうしばらくはいいかな〜。長時間おなじ電車に乗り続けるのはわたしにとってハードでした。
Zermatt のホテルに着いたら疲れか寒さかでダウン。朝まで寝込んでしまった。

イタリア出身のおじさまに聞いた話 ~ Saas-Fee

St. Moritzでもそうでしたが、現地の方は実に気軽に旅行者に話しかけてくれるのだなぁと感じます。観光の国だからなのかな?目があうとHello!とかChao!と声を掛け合うのが自然。
Glacier Expressで隣席になったイタリア出身のおじさまには、どこから来たの?と話しかけてもらいました。日本からだと応えると、日本の文化や盆栽には興味があるんだとか京都には一度行ってみたいのだ!と興奮気味に話をしてくれて、車中のひとときが楽しいものになりました。日本人はスマイリーでチャーミングですね、とも(これがイタリア人!)。
たどたどしい英語で今日の目的地はZermatt、明日はマッターホルンを見る予定だと話をしたところ、おじさまはちょっと残念そうに「みんなZermattに行くなあ」「Saas-Fee(サースフェー)にも行ってみてほしい」とおっしゃっていた。Saas-Fee? その名を初めて聞いた、と言うと Saas-FeeはZermattに比べて静かで山と氷河が近く圧倒されますよ!マッターホルンより高いMt. Dom があるし、迫力はSaas-Feeのほうが上!(たぶんそんなニュアンスだと想像)とのこと。知らなかった。
ちなみにマッターホルンはドイツ語名称で、イタリア語ではチェルヴィーノと言うんだよと教えてもらいました。マッターホルンの東側はイタリアの国土なのですね。へええこれも知らなかった。

3日目にしてすこし英語に慣れつつある。片言で話ができるようになってきました。

Filisur駅で見たかば。家もホテルも駅もどこも花がいっぱいで、こういうのがスイスにはたくさんいる。

9/13 (水) St.Moritz ~ Diavolezza & St. Moritz 散歩

霧のち晴れ。
朝食時にホテルのフロントスタッフに今日の天気予報を聞いて、2日目の予定は以下に決めた。

  • 午前 : Diavolezza 展望台
    • 標高2,973mの山。頂上に展望台があり、目前にベルリナアルプスと氷河を望むことができる
  • 午後:St. Moritzの街を散歩
    • 散歩がしたかった

以下に記す情報は、自分の体験と、事前に準備した地図とインターネットから、またホテルのフロントスタッフと迷子から救ってくれた街の方々によるものです。

St. Moritz

朝のサンモリッツ湖(散歩)。

スイスの南部に位置する標高1,900m近い場所にある山岳リゾート地。来てから冬季オリンピックやスキーの国際大会が複数回開催されていると知りました。冬は各国の代表スキー選手や有名なスキーヤーが多くやってきて、毎年大きな大会や合宿が開催されるそう。どおりで周りの切り立った山に目を凝らすといくつもリフトやゴンドラがあるのが見えます。また、世界の富豪が避暑や冬のバカンスのためにセカンドハウスを構えているそうで、高台に素敵な高級アパートをいくつも見ました。
景観の美しさはもちろん、街の人々も観光客には親切で一人客にも居心地のよい街。道に迷っていると何度かドイツ語で「助けられることある?」と声をかけてもらいました。言葉がわからなければ、In English, please? をするとたいてい英語で話をしてもらえます。
山と湖が近くてどこを歩いても美しく、坂と階段がたくさんあって迷路のよう。お気に入りの街になりました。少し歩くとハイキングコースもあり散歩好きにはとてもおすすめできます。
ただし難もあって物価が高い!ミネラルウォーター1本 1.88フラン(250円超)。宿泊先のホテルで歯ブラシセットを購入したら、手数料とホテル価格相まって 歯ブラシ+歯磨き= 9フラン(1,000円超?ハァ???おこ!)。夜ごはんはCOOPでサンドイッチを買ってホテルで食べています。ただしカフェは比較的安価で日本と変わらない(8フラン程度、1,000円くらい)。
そして時差ぼけがひどい。日本との時差は+7h、夕方になるとぼうっとしてつい昼寝、2:00~3:00amごろに目が覚めます。あぁ日本が恋しい。そろそろお米がたべたい。

AM : Diavolezza 展望台

Diavolezza からの展望。
目前に4,000m弱の山々が連なる圧巻の景色。この右方向に、ベルリナアルプス一の標高を誇る Piz Bernina がある。

サンモリッツ駅からレーティッシュ鉄道に乗車し、ディアボレッツァ駅で下車。そのまま乗り続ければイタリアまで行くことができる鉄道で、せっかくSt. Moritzに来たのならぜひ!とホテルフロントの方におすすめしてもらいました。霧が濃く冷え込みの強い朝でしたが、霧が収まったあとの天気予報は晴れ。山の景色を見るなら天気が安定している午前のうちに見にいくのがよいと聞き、朝食をとって早々に出かけた。
サンモリッツ駅からレーテッシュ鉄道に乗ると、さっそく森の景色とその背後には美しくとがった山が連続して現れて目を奪われます。サンモリッツから7つめの駅 モルテラッチ駅を過ぎると、車窓からモルテラッチ氷河を望むことができた。

もうものすごい景色!写真では伝わらないのが残念。この氷河は昨今の地球温暖化の影響で1年間に2m以上 後退しているそうです。ちょうど日本人ツアー客と同車両に乗り合わせ、添乗員さんの説明を一緒に聞かせてもらうことができました。
Diavolezza展望台では1時間ほど過ごしました。山の上の気温は4℃。冷たい風が始終吹くので寒さで凍える。軽装で来た自分は震えていました。夏でも10℃に満たないそうで防寒対策は必須です。手袋と風除け、サングラスもあるとよい。

PM: St. Moritz 散歩

楽しみにしていた散歩〜。坂や階段があると街に表情ができますね。

駅から少し上がったエリアはハイブランドのショップが立ち並ぶ通りです。高級車とおしゃれに身を纏ったかっこいい人々が行き交っており、眺めているだけで目の保養になります。そんな様子を眺める自分はたいへんヘンテコな格好をしており、この通りのみなさまと同じ道を歩くのが恥ずかしい。今回はシャーっと通り過ぎるに留めましたが、本当はもっとおしゃれをしてゆっくり歩きたかった。

しかしわたしはもう少し賑わいのある坂のエリアをぐるぐると歩き回るほうが好きになりました。学校広場周辺から山の方面は階段と坂で迷路のように入り組んでおり、あれ?この道さっきも歩いたよね?なんてことを10回くらい繰り返します。今日の散歩はまっすぐな道がなく迷うのがデフォルトで、時おりひとに道を聞きながら思うままに時間を進めていました。高地のせいかすぐに息がきれる。ハァハァしながら階段を上がり下ったところで突然展望が開け、目前に切り立った山々が望めたりして、歩いていて飽きません。
アパートのデザインや窓辺の飾りもの、お庭の様子、家々の照明が粋な感じで、ずうっと歩いていられます。自分が一緒にいて楽しい/安らぐタイプに「食べるのが好きなひと」「一緒に散歩ができる/したいひと」というのがありますが、この街は散歩好きなひとと一緒にぶつぶつと話をしながら歩くのが楽しそうに思った。あれ!なんだこれは!突然階段が現れた!坂?階段?どっちを選ぼう!と一人でやっていました。楽しかった。

↓は有名な建築家(なんとか/あとで調べて書く)がデザインした高級アパート。このあたりの高台は歩いていてすごく楽しかった。

今回の旅の相棒は Forest Shoemakerの靴にしました。中敷きに "If you feel like it, you can walk the whole world. " とある。石畳に茶色の革靴は似合います。

夕方ホテルに帰り、仮眠のつもりが爆睡してしまった。充実した1日でした。

9/13 写真

https://photos.app.goo.gl/bLwrjbLj0OPZosN62

ただいま5:50am. 眠くなってきました。今日はSt. Moritzを離れます。鉄道で移動の1日となりそう、次の宿泊先を目指します。

9/12(火) 伊丹 > 成田 > Zurich > St. Moritz

1日目。移動で疲れた日。

チューリヒ国際空港

現地時間 21:00前にやっと宿泊予定のSt. Moritzに着いた。空路で12時間、バスと鉄道で5時間、トータルで17時間かかったことになる。こんなに遠いとは思っていなくてヘトヘトになった。途中であたふたしたけれどなんとかなった。内容は疲れたので割愛。やっとのことで目的地についた。
成田発10:25 でZurichに到着したのが15:00すぎ、そのあいだじゅうずっと昼の時間を過ごしてなんだか調子がおかしい。機内でうとうとしたものの12時間の空旅は長く、2度寝しても到着までまだあと4時間もあった。遠いよー。

Zurich のダウンタウンは少し歩いただけだが洗練された素敵な街で好みの感じ。道行く人々はもう冬に近い装いであった。日本に戻る日にちょっと散歩ができるといいな。

St. Moritzは寒い。おそらくいまの気温は一けた台でしょう。パーカー+デニムで来てしまったから寒くて震えている。明日はSt. Moritzの街を散歩をします。さっきホテルでおすすめしてもらったなんとか展望台に行く予定。宿泊するホテルはこじんまりとクラシックな雰囲気でいい感じです。疲れたあ。寝たい。

スイス到着時にCAの方が「飛行機を降りたあとも素敵な時間をおすごしください」と伝えてくれたのが耳に残っている。

夏のおわりの旅の直前

来週から1週間ほどヨーロッパに行く。
出発前日は日帰りで東京出張。当日は大阪から成田を経由してチューリヒへ。ほえええたいへん。

さっきから深く息を吸って吐いてばかりいる。そろそろ荷造りを進めないといけないのだけれど気が進まない。本棚を眺めてどれを旅のお伴にしようかと頁を繰っては準備から目を背けている。旅に出る前からホームシックにかかっている。まだ出かけていないけど、いま家にいるけど。なんじゃこりゃ。

夏のはじめに渡独をした友人を訪ねることが旅の計画のきっかけだった。というのも、2017年初に「今年の夏は遠出をしたくなるかもしれない」とエントリに書いたことが頭の片隅にあったのだ。これはよい動機をいただいたわーそんな気持ちだった。 > 2017年

ところが残念なことに、ここにきて友人と都合が合わなくなってしまった。それなら無理して行く必要もないしキャンセルしようかと脳裏を過ぎったが、どこかに書いたりだれかに話をしたことを反故にしたくないという思いは強い。そうか言葉にするってこういうことなのね。少なからず未来の選択に作用する。

旅行会社に勤める弟にお願いしてせっかくチケットをとってもらったのにドタキャンか。もやもやと考えて、なんだかこのぐるぐる感は実に自分らしいなと思えてきた。面倒くさがりやで迷いがち。試されているんだ。

2017年年初に書いたエントリの最後に 'Fear can hold you prisoner, hope can set you free.' この考えを採用していきたい、と書いている。自分でそう決めて書いた。

来週わたしは新しい知らない景色を見るのだろう。知らないことを知り、普段とちがう風景を見て、今日も楽しかったな〜といって眠りにつく日を過ごしてこよう。

目の前の不安や面倒ごとや心細さに支配されないように。

波照間島に出向いた記録 後編 ~ 島の時間

こちらは2015年10月に波照間島へ出向いた記録の後編です。長文です。

現地の画像のみ見ていただける方はこちらからどうぞ。
151007波照間-Googleフォトアルバム
前編はこちら 波照間島に出向いた記録 前編 ~ 行くまで

10/7 大阪 > 石垣 > 波照間島

9:00 関西空港発の便で石垣島へ。
8:00に関西空港着を達成するために京都駅始発のバスに乗車を予定していましたが、寝坊によりはるかで空港着。飛行機は空いていて、搭乗して離陸までの時間は出発前に友人と話をしたことや二十歳の時に他界した友人のことを思い出していました。なぜだか泣き出したいようなそんな心境だったことを覚えています。
機長の挨拶(かっこいい)を聞いて離陸。新石垣空港着まで2時間あまり機上の人です。下の写真は新石垣空港着陸前にぐいーんと旋回して体が傾くポイント。日が差した海の色にいつも感動してしまう。

新石垣空港から石垣港離島ターミナルまでの移動はバスで45分程/520円の道のりです。空港観光はせず、すぐバスに乗り込んでウトウトしていました。そういえば朝からなにも食べていない、おなかすいた!14:00ごろ離島ターミナルに到着し、その足で近所のコンビニで唯一残っていた「ポーク玉子 油みそ」というネーミングの斬新なおにぎりを買って食べました。味は記憶から抹消済みです。

15:30の高速船で波照間島

快晴。

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波照間島に出向いた記録 前編 ~ 行くまで

このエントリは2015年10月に波照間島へ出向いた記録です。
前編は旅に出向くまで、後編は波照間島で過ごした様子を記します。あれから2年の時が過ぎ、記憶と写真と現地で書いたメモを頼りに備忘録として綴っていますが、島好きまたはこれから八重山諸島に行くことを検討される方のお役にも立てるとうれしい。そしてのんびりな週末の時間つぶしになれば幸いです。

背景

2015年は年明けから春先にかけて将来への漠然とした不安でいっぱいでした。そのせいで目先のことにとらわれて常に繁忙な気持ちで、自分の生活や時間にほとんど気を回すことができませんでした。すこし落ち着いた頃、ふと自分の感受性が失われてしまったのではないかと愕然とすることがありました。ちょっとオーバーですが「なんのために生きているか」を考えては途方に暮れて、時間の流れを虚無な気持ちで捉えていました。わたしの感受性やばい、どうしたらいいのかわからない。しょっちゅうぐるぐるしていたように思います。
綺麗な景色を見たり知らない場所に行けば、なにかを感じることができるんだろうか?そんなことを考えていました。梅雨の時期には身近な友人によく弱音を吐いていたことを記憶しています。申し訳なかった。そんな自分が嫌で仕方がなく、波照間島への一人旅を具体的に計画し始めました。2014年夏に石垣島小浜島西表島に出向いた経験から、行くなら波照間島だという勢いで。

6月

往復航空券を予約。
前述のとおり現実逃避に近い感情から大阪-石垣の往復チケットをANA便で予約しました。早期割引利用ができる 9月後半の出発便で3泊4日の予定にしました。片道20,000円弱だったかな。
遠くへ行って自分がどう感じるか確かめたい、そんな気持ちに突き動かされていました。今なら当時の自分のことが少しわかります。余裕がなかったのだなー。

7月

業務繁忙につき、旅のことは完全に忘却。

8月

1ヶ月後じゃん。
お盆が明けて社の行事がスタートした頃、波照間行きが現実味を帯びてきました。連休と週末を外した日程でしたので、宿の予約はまあいけるでしょと余裕ぶいていました。
いざ波照間島で宿を探し始めると、宿泊施設数が多くないうえに情報が少ない。インターネット予約可のホテルや民宿はどこも満室でした。まずい。
詳細は記載しませんが、宿情報の中には「女性はご留意ください」と書かれていたり、写真を見てここほんとに大丈夫?と心配になる場所がありました。私のように行き当たりばったりな方はいないと思いますが、宿を決めるまで相応の調整が必要でしたので、はやめの手配をおすすめします。2017年現在は状況が変わっているかもしれません。
自分は情報サイトや過去の訪問者のブログを参考に、一人部屋を約束してもらえる宿に電話で予約しました。ただしこの時点で予約した宿はいずれも取り消すことになります。理由は後述します。

9月

もうすぐ。
台風が気になり始めます。近畿地方に影響がなくとも、八重山付近の海は台風の発生場所であり通り道に当たるエリアでしょっちゅう影響を受けます。
現地の様子を知るために、折に触れて八重山新聞や八重山日報に目を通して八重山諸島のいまをキャッチしていました。

石垣-波照間の航空便の予約をしよう〜となったのがたしか9月10日頃。ここで石垣-波照間島の空路が未再開であることを知ります。船のみ?まじか。気づくのが遅い。
一気に不安が募って、身近に波照間島訪問者がいないか旅好きあるいは海ぽい同僚にヒアリングをしました。幸い上司が学生時代に出向いたことがあると知り、当時の船事情を聞くことができました。ヒアリングをして心に安寧が訪れることはありませんでしたが、移動中に船が沈没したことはないらしいとわかりほっ。内容は以下です。

  • ふつうに揺れた。石垣島 - 波照間島 の海路は揺れて当然だと思っておいたほうがいい。外海に出るし強い海流がある。当然揺れる
  • 高速船の乗船時間は多く見積もって1.5h。激しいジェットコースターに乗っていると思えばいい。アップダウンの連続と左右の揺れ(こわすぎ)
  • 仮に大揺れしたらつらいが凪のときはほぼ揺れないらしい
  • あの海路は基本的に揺れるので波がひどい場合はすぐに船会社が欠航を決める(なので途中で船がひっくり返ることはない)欠航して帰ってこられないことを心配した方がいい
  • あの海を知る熟練の船長が舵を取る。まあ行ってきたら

なるほどね。
高速船は安永観光にお世話になります。船のチケットは欠航を恐れて当日に現地で購入することにしました。

9月も20日を過ぎ、出発まであと5日というタイミングで、大型の強い台風が八重山直撃コースを辿ります。出発日の3, 4日前にANAから台風による欠航の可能性が高いことを理由に、往復便とも1度限り無料変更ができるとの連絡がありました。そのことで、出発予定を2週間後の10月7日から3泊4日に変更しました。宿にも理由と予定キャンセルの希望を伝えました。来ないほうがいい、船が出ないだろう、と直前の取り消しに対する苦言は一切ありませんでした。よかった。助かりました。

10月

いよいよです!
旅の様子は後編にて。愛用のリュックサック。旅をするごとにバッヂが増えます。

着るものについての思索

洋品店から秋ものが並びはじめましたよと便りが届いた。
猛暑にへこたれて秋をひととき感じたくなり、日が落ちる時刻を待ってお店に出向いた。

普段手に取ったりお店の方におすすめされる洋服はいつもだいたい同じテイストで似通っている。たまには明るい色や違ったデザインを!と意気込むんだけど、なかなか思うようなものに出逢えずにいて、縁とはそういうものだなあ。不意な遭遇を楽しみにしている。

なんの装飾もなくなにも特徴がないねといっていいくらい単純な、それでいて自然に体に沿うシンプルなものが好きである。試着したときに余分なだぶつきがなく、どこも不自然に締め付けられず、いい按配にフィットするもの。からだや気持ちに無理をさせない居心地がよい服といったらいいのかもしれない。
そわそわせず自然でいたいとなると、自分の場合は、白、灰、黒、濃茶、紺など地味色で無地になる。柄ならせいぜい紺地に白の水玉かストライプで、それでさえ模様が目立たないものを選ぶ。ボタンが目立つシャツや上着はどこか落ち着かないから、生地色と大きく違わない色で形はまるがよい(白シャツの貝ボタンが好きで眺めてしまう)。そう、ボタンはシャツにとって欠かせないアイテムだ。何を主張するでもなく全体に溶け込んで生地と生地の間をつなぐ役目を担う縁の下の力持ち的な存在で、そういったところになぜだかときめく。ボタンや生地が好きだからシャツが好きなのかな。さりげなく素敵にシャツを着こなしているひとに自然と目がいく。
そしていまこの文章を書きながらボタン好きを再認識した。

ボタンとかタグとか襟元や袖元などの細部が好き。目立たない場所で自分の機能や役割をしっかりと堅牢に果たしてくれる様子に、作り手さんのこだわりが感じられてうれしくなる。主張しない美しさってある。それを上品というのかもしれない。そんなものや存在に惹かれる。人にも。

初めて試着したにもかかわらず「あー?これこれこの感じ」とすっかり馴染んでしまう服がたまにある。これは生地の好みに加えて、サイズが自分に合っていることによるものだとわかってきた。一過性の流行に左右されないよさを時間をかけて選ぶことは好きだなと思う。
先日試着した紺色のシャツは、着てみた時のしっとり感がよかった。肩の収まり具合やボタンの感じ、洗濯に負けない生地の強さもよかった。着込んでこなれてくるにつれてたぶん自分に馴染んでくれる。馴染むまで時間に手伝ってもらう。

一緒に時間を過ごすほど馴染んでくれるものがいい。丁寧につくられたもの、使う人に寄り添うもの、佇まいが美しいもの、大切に扱われてきたものを長くだいじに使いたい。3年でも5年でも傷むまで着る。だから飽きがくるものは避けたい。

Elbert Hubbardが著書にこう書いている。

  • 友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである

気に入ったものと長く友人のように付き合っていきたい。