波照間島に出向いた記録 前編 ~ 行くまで

このエントリは2015年10月に波照間島へ出向いた記録です。
前編は旅に出向くまで、後編は波照間島で過ごした様子を記します。あれから2年の時が過ぎ、記憶と写真と現地で書いたメモを頼りに備忘録として綴っていますが、島好きまたはこれから八重山諸島に行くことを検討される方のお役にも立てるとうれしい。そしてのんびりな週末の時間つぶしになれば幸いです。

背景

2015年は年明けから春先にかけて将来への漠然とした不安でいっぱいでした。そのせいで目先のことにとらわれて常に繁忙な気持ちで、自分の生活や時間にほとんど気を回すことができませんでした。すこし落ち着いた頃、ふと自分の感受性が失われてしまったのではないかと愕然とすることがありました。ちょっとオーバーですが「なんのために生きているか」を考えては途方に暮れて、時間の流れを虚無な気持ちで捉えていました。わたしの感受性やばい、どうしたらいいのかわからない。しょっちゅうぐるぐるしていたように思います。
綺麗な景色を見たり知らない場所に行けば、なにかを感じることができるんだろうか?そんなことを考えていました。梅雨の時期には身近な友人によく弱音を吐いていたことを記憶しています。申し訳なかった。そんな自分が嫌で仕方がなく、波照間島への一人旅を具体的に計画し始めました。2014年夏に石垣島小浜島西表島に出向いた経験から、行くなら波照間島だという勢いで。

6月

往復航空券を予約。
前述のとおり現実逃避に近い感情から大阪-石垣の往復チケットをANA便で予約しました。早期割引利用ができる 9月後半の出発便で3泊4日の予定にしました。片道20,000円弱だったかな。
遠くへ行って自分がどう感じるか確かめたい、そんな気持ちに突き動かされていました。今なら当時の自分のことが少しわかります。余裕がなかったのだなー。

7月

業務繁忙につき、旅のことは完全に忘却。

8月

1ヶ月後じゃん。
お盆が明けて社の行事がスタートした頃、波照間行きが現実味を帯びてきました。連休と週末を外した日程でしたので、宿の予約はまあいけるでしょと余裕ぶいていました。
いざ波照間島で宿を探し始めると、宿泊施設数が多くないうえに情報が少ない。インターネット予約可のホテルや民宿はどこも満室でした。まずい。
詳細は記載しませんが、宿情報の中には「女性はご留意ください」と書かれていたり、写真を見てここほんとに大丈夫?と心配になる場所がありました。私のように行き当たりばったりな方はいないと思いますが、宿を決めるまで相応の調整が必要でしたので、はやめの手配をおすすめします。2017年現在は状況が変わっているかもしれません。
自分は情報サイトや過去の訪問者のブログを参考に、一人部屋を約束してもらえる宿に電話で予約しました。ただしこの時点で予約した宿はいずれも取り消すことになります。理由は後述します。

9月

もうすぐ。
台風が気になり始めます。近畿地方に影響がなくとも、八重山付近の海は台風の発生場所であり通り道に当たるエリアでしょっちゅう影響を受けます。
現地の様子を知るために、折に触れて八重山新聞や八重山日報に目を通して八重山諸島のいまをキャッチしていました。

石垣-波照間の航空便の予約をしよう〜となったのがたしか9月10日頃。ここで石垣-波照間島の空路が未再開であることを知ります。船のみ?まじか。気づくのが遅い。
一気に不安が募って、身近に波照間島訪問者がいないか旅好きあるいは海ぽい同僚にヒアリングをしました。幸い上司が学生時代に出向いたことがあると知り、当時の船事情を聞くことができました。ヒアリングをして心に安寧が訪れることはありませんでしたが、移動中に船が沈没したことはないらしいとわかりほっ。内容は以下です。

  • ふつうに揺れた。石垣島 - 波照間島 の海路は揺れて当然だと思っておいたほうがいい。外海に出るし強い海流がある。当然揺れる
  • 高速船の乗船時間は多く見積もって1.5h。激しいジェットコースターに乗っていると思えばいい。アップダウンの連続と左右の揺れ(こわすぎ)
  • 仮に大揺れしたらつらいが凪のときはほぼ揺れないらしい
  • あの海路は基本的に揺れるので波がひどい場合はすぐに船会社が欠航を決める(なので途中で船がひっくり返ることはない)欠航して帰ってこられないことを心配した方がいい
  • あの海を知る熟練の船長が舵を取る。まあ行ってきたら

なるほどね。
高速船は安永観光にお世話になります。船のチケットは欠航を恐れて当日に現地で購入することにしました。

9月も20日を過ぎ、出発まであと5日というタイミングで、大型の強い台風が八重山直撃コースを辿ります。出発日の3, 4日前にANAから台風による欠航の可能性が高いことを理由に、往復便とも1度限り無料変更ができるとの連絡がありました。そのことで、出発予定を2週間後の10月7日から3泊4日に変更しました。宿にも理由と予定キャンセルの希望を伝えました。来ないほうがいい、船が出ないだろう、と直前の取り消しに対する苦言は一切ありませんでした。よかった。助かりました。

10月

いよいよです!
旅の様子は後編にて。愛用のリュックサック。旅をするごとにバッヂが増えます。

着るものについての思索

洋品店から秋ものが並びはじめましたよと便りが届いた。
猛暑にへこたれて秋をひととき感じたくなり、日が落ちる時刻を待ってお店に出向いた。

普段手に取ったりお店の方におすすめされる洋服はいつもだいたい同じテイストで似通っている。たまには明るい色や違ったデザインを!と意気込むんだけど、なかなか思うようなものに出逢えずにいて、縁とはそういうものだなあ。不意な遭遇を楽しみにしている。

なんの装飾もなくなにも特徴がないねといっていいくらい単純な、それでいて自然に体に沿うシンプルなものが好きである。試着したときに余分なだぶつきがなく、どこも不自然に締め付けられず、いい按配にフィットするもの。からだや気持ちに無理をさせない居心地がよい服といったらいいのかもしれない。
そわそわせず自然でいたいとなると、自分の場合は、白、灰、黒、濃茶、紺など地味色で無地になる。柄ならせいぜい紺地に白の水玉かストライプで、それでさえ模様が目立たないものを選ぶ。ボタンが目立つシャツや上着はどこか落ち着かないから、生地色と大きく違わない色で形はまるがよい(白シャツの貝ボタンが好きで眺めてしまう)。そう、ボタンはシャツにとって欠かせないアイテムだ。何を主張するでもなく全体に溶け込んで生地と生地の間をつなぐ役目を担う縁の下の力持ち的な存在で、そういったところになぜだかときめく。ボタンや生地が好きだからシャツが好きなのかな。さりげなく素敵にシャツを着こなしているひとに自然と目がいく。
そしていまこの文章を書きながらボタン好きを再認識した。

ボタンとかタグとか襟元や袖元などの細部が好き。目立たない場所で自分の機能や役割をしっかりと堅牢に果たしてくれる様子に、作り手さんのこだわりが感じられてうれしくなる。主張しない美しさってある。それを上品というのかもしれない。そんなものや存在に惹かれる。人にも。

初めて試着したにもかかわらず「あー?これこれこの感じ」とすっかり馴染んでしまう服がたまにある。これは生地の好みに加えて、サイズが自分に合っていることによるものだとわかってきた。一過性の流行に左右されないよさを時間をかけて選ぶことは好きだなと思う。
先日試着した紺色のシャツは、着てみた時のしっとり感がよかった。肩の収まり具合やボタンの感じ、洗濯に負けない生地の強さもよかった。着込んでこなれてくるにつれてたぶん自分に馴染んでくれる。馴染むまで時間に手伝ってもらう。

一緒に時間を過ごすほど馴染んでくれるものがいい。丁寧につくられたもの、使う人に寄り添うもの、佇まいが美しいもの、大切に扱われてきたものを長くだいじに使いたい。3年でも5年でも傷むまで着る。だから飽きがくるものは避けたい。

Elbert Hubbardが著書にこう書いている。

  • 友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである

気に入ったものと長く友人のように付き合っていきたい。

取り込んだ情報や感情を意味づけする

人生の先輩と言えるご夫妻とお話する機会があった。
お互いの近況交換をした後、これからの自分たちのこと、社会のことについて話題が及んだ。AIが進み、日常生活への浸透が加速していくだろう。人はコンピュータがやってくれる仕事に敵わないね。情報をそのままフローしたりストックする作業から人間は遠のくだろうね。じゃあ私たちはなにを意識して生きていかないといけないんだろうね。そういえば最近おいしいものたべた?なんて話をした。

奥さまは情緒について話をされた。旦那さまは得た情報から人間がなにを抽出するかに注目していると展開された。抽出したものを繋げてどんな価値を生み出すのか。
私はお二人の考えを紐付けてがんばって理解しようとした。

1つの情報に対して3人それぞれの捉え方が異なる。これこそが多様性だな。同じ情報を受信しても、その情報を通して得る認知や感情は人それぞれだった。また、発信側が情報に込めた意味を、受信者が同じように受け取るかはわからない。そういえばつい先日に似た体験をした。「いいね」という意味合いの情報(言葉)を伝えてもらったのに、自分はそう受け取らなかった。あとで確認をして「え!そういう意味が込められていたの」を知り、うれしく思ったり納得をして自分の中に蓄積をした。感情が生まれるまで、自分の中でその情報について意味づけできなかったことを実感した。情報に込められた意味をちゃんと自分内にストックしていきたいと思った。自分は意味づけストック力が不足している。

私たちはなにを意識して生きていけるとよいか?小一時間ほど議論をして腑に落ちたまとめはこうだ。

  • 受信した情報を自分でどう感じて意味づけをするか
  • なにを持つかじゃなくてどう繋げて使うか
  • 柔軟さ、前向きな見通し

抽象的かつ説明が下手でうまく言語化できないが、とても大切な考えだと思った。研究者の方々は常日頃からこうした考えと実践が根付いているように思う。

毎日やってくる情報に優先順位をつけたり感情を巻き込ませて、自分にとっての意味づけをする。そうして出来た幾つもの「意味」を繋げ、自分の新しい価値や世界観をつくっていく。都度自分にとっての「だいじ」を意識していく。コンピュータには任せたくないしできない仕事だ。
多くの人に支持される最大公約数的な価値を知って満足するのではなく、自分にとっての意味づけをちゃんと意識していきたいね。そう締めくくって、着物やグルメの話題でにこにことした時間を過ごした。

使う愉しみがあるもの

予定のない雨の休日はのんびりと家で過ごすのが楽しい。
ぼうっと時間を過ごしていたら日常使いしているものに目が向いたので、長く一緒に暮らしたい、使い心地や着心地がいい、持っていてしあわせだと思えるものをつらつらとあげるよ。

お茶

お茶全般が好き。帰宅後の一服や週末によく飲むお茶は下にあげたものです。珈琲も大好きですが、京都にはおいしい珈琲を淹れてくれるお店が多くあるため家ではあまり飲みません。

  • 加賀棒茶
    • すっきりと香ばしいほうじ茶でほんとうにおいしい。祖母の家で出してもらって知り、以降は常備しています。暑くなる季節は毎日沸かして冷茶としてのみます。洋菓子にも和菓子にも合う。Amazonで購入できるのもよい
  • Fortnum&Maison のEarl Grey とChai
    • Chaiは秋〜冬の週末夜のお楽しみでした。茶葉を牛乳にいれて沸騰するまで煮出すと手軽にお店の味がいただけます。Earl Grey はティーパック買いをしている。上品な香りがお気に入り

お米

  • 夢ごこち
    • もちもちした食感が好みでリピートしています。別の銘柄を試してみましたがすぐにこちらに戻ってきました。ああー炭水化物

お茶碗とお箸

毎日つかうものは特に気に入ったものであるとうれしい。
お茶碗は随分前に 草星さんで購入。経年変化でオレンジに近い色味になってきました。お箸はおはし工房さんのもの。初めて使用した時の食べ口のよさが忘れられません。いただく機会がなければ、こういう価値は知り得なかったと思いますありがとう。

先日おはし工房のお店に出向いた際に店主さんとこんな話をしました。「器はよく注目されるのに、毎日つかうお箸はそうでもない。実際に口に触れるものなのでもっと意識されていいと思うんですよね」「一度この心地を知るとやめられませんね」。
持ち歩くことがあるのでお箸箱を注文中。出来上がりを待つ時間も楽しみ。カトラリーならCutipolの口当たりやデザインが好みです。

はんかち

アイロンがけが好きなので綿のシャツやはんかちは格好のターゲットです。
H TOKYOのはんかちはデザインやテーマにいつもコンセプトがあって楽しい。生地に張り感があり、アイロンをかけるとシャキンとしてくれるので気持ちがよいです。何度洗濯をしてもへこたれません。

刺繍のシリーズはかわいくて見つけるとつい購入してしまいます。かれこれ5~6年は使い続けていて丈夫。

シャツ

相変わらず白シャツばかりを着ています。n100 や Arts and Science のシャツはサイズが合い着心地がよいのでお気に入り。下のトレーナーは綿に見えてリネンなのです。さらっとして着心地がよい。Tシャツをメインにものづくりをしている日本のメーカーさんのようです > SBTRACT。引き算。名前もいいでしょ。今日はこのトレーナーで過ごそう。

シャンプーとリンス、ドライヤー時にKERASTASEを使う。以上。つげの櫛は静電気が立たなくて髪によい気がします。櫛は週末に椿油でメンテナンスをします。

香り

こちらのエントリ でも紹介しましたが、日常のちょっとした時に香りがあると気持ちが安らぎます。
ウッディな香りが好きで、最近はMIRKO BUFFINI - MOAが好み。The Different Companyの香りも上品でいいんですよね〜しかし取り扱うお店が少ない。
実際に木や緑の近くにさんぽに出向くのはもちろん最高。

ペン

万年筆を愛用中 > 万年筆のこと。読書中に気になった一節を書き留めるノートは12冊目に突入しました。

季節の中でもっとも仲良くなれそうにない梅雨が近づきつつある。夏はもっと勘弁してほしい。秋が来るまでの3~4ヶ月は傘をはじめ、いろんなものの力を借りて乗り切らなければなりません。

  • 長傘と日傘は イイダ傘店のものを愛用中
  • 折りたたみ傘は Maglia Francescoの頑丈なもの
    • クリーム色のベースに紺のライン、持ち手も紺です。もともとカバーが付いていないカジュアルな雰囲気と、普段着る服に馴染みそうだと思いこれに決めました

お気に入りのものをあげていたら、いつしかその作り手さんやものの歴史について考えはじめていました。雨があがりもう昼。これからも身近に置いて大切に使います。

伝えること、受け取る姿勢

1週間ちょっとはやい母の日をしてきました。
ティーポットをうっかり割ってしまったのと母から聞いたので、じゃあプレゼントさせてと申し出た。贈ったポットでアールグレイを淹れてひとしきりおしゃべり。穏やかな日差しが入る居間で両親とお茶をしていたら自分の幼少期の話題になった。

伝えてくれたこと

シャイで引っ込み思案だったこと。3月生まれなこともあり小学校にあがるまで手先が不器用だったこと。お箸や鉛筆の持ち方の練習がたいへんだったこと。練習には小豆や大豆を使ったこと。あーうっすら覚えている。夕飯後、父に特訓されながらよく泣いたこと。自分の意見を言わないこであったこと。幼稚園時の口癖は「お母さんはどっちがいい?」「お父さんはどうする?」で、娘を厳しく育てすぎたためかもしれないと親は考えたらしい(たぶん性格だ)。自分の意見をちゃんと言えるこにしないといけないと両親は相談し、言いたいことがあるなら泣くのをやめて言いなさい、と言い続けた。娘(わたし)の考えを聞き出すまで2時間でも3時間でも待って、それでもやっぱり口下手で、自分の意見を言えないこともあったらしい。途中まで言葉にしてやめてしまうことがしょっちゅうで、時間がかかった。父は「長女だからって我慢させすぎたかな」。母は「お父さんもお母さんもあなたの考えを聞く姿勢がなっていなかったのかもね」と話した。
高学年になり積極性が増し、中学生になって自分の進路を自分で決めて伝えてきた時はそれはうれしかったらしい。そこからはもう自分でなんでも決めてきて、優柔不断は消え、意思を伝えるようになった。高校生になると1人で夜行バスに乗って出かけたし、大学に入ると勝手に決めて一人旅をし始める。変化のきっかけはなんだったんだろう?両親は首を傾げて笑っていた。

それから母はこんなことを伝えてくれた。「反抗期の時も喧嘩をしてもよく話を聞くこで、途中で感情的に誰かを落としにかかるということはまずなかった」「高校に入るといい話相手になりなんでもよく話をした」「大人になってお母さんはあなたを見習おうと思ったよ」。そんな風に感じ取ってくれていたのか。うれしく思った。

受け取ること

自分は今でも説明が下手で論理的な話が苦手だし言いたいことを適切に表現して伝えることができない。それがコンプレックスでもある。なので、自分が言いたかったことをさっと補ってくれたり「うん、わかるよ」と言って受け止めてもらえることがあると、虹を見たときのような気分になる。自分もそうありたい。
受け取り手がちゃんと関心や耳を傾ける気持ちを持っていれば、相手がほんとうに思っている何かは伝わるのだろう。そういった人たちのやさしさにわたしは随分と救われた。
意見をハキハキと言えるひとを羨ましく思うが、そのことだけで評価されるのはよくわからない。もっと言っちゃえばハキハキなんでも言える必要はないと思う。言葉を持っていないひとは従うしかないの?そんなことはない。饒舌じゃなくても、心にじいいぃんと響いたり胸を打たれるシーンは多くある。ひょうひょうとしていて、かつ淡々としている、そういうスタンスだってかっこいい。
文章や言葉のすごいところは、伝える側と受け取る側の相互理解と関係性と感受性によって、双方に無限の広がりや可能性がうまれるところにある。

伝え、受け取る

ここのところ、自分が思ったり考えたことをそのままに伝える、ということについて絶えずぼんやりと考えていた。伝えたいと思うことがなければ、このブログがなかったら、こんなことを考える気も起きなかった。
母と話をしたことで、受け取る側の在り方について思い巡らせる機会をもてた。他者の話をちゃんと素直に受け取れる心持ちに自分を置いておくことは大切。
楽しいことも辛いことも、こんなことがあったのということも、聞いたり読んでくれるだれかがいるといないでは感情の取り扱いも変わってくるだろう。伝える側、受け取る側、どちらの有り様も意識したい。

学びと問い

学んだことをなんらかのかたちで表現し発信する。それこそが学びを意味あるものにする。

学び、伝える

わたしは資格取得に必要となる修了証を得るために専門学校に通学した。どんなにお金を払い決められた時間に通学しようとも、成長は自動的できるものではないということを経験を通して知った。卒業テストも修了証もきっかけでしかない。
得た学びを継続し何らかの形で表現すること。それこそが学びを意味あるものにする。
発信することで、その分野や領域に関心を持つ他者から別の新たな視点や考えを教えてもらえるといった副次的な効果が得られることはよく聞かれる。自分の発信にリアクションがあるというのは、経験してみると代え難い充足感がある。そこから自分の中で新たな気づきがうまれるかもしれない。自分も誰かに向けて書きたくなるかもしれない。未来の自分に向けて書いてみる楽しさを知るかもしれない。脳は自分が考えたり思っていることを一度外に出さないと自覚できないらしい。文や絵や人に話すことで初めて自分はこう思っていたのかと整理される。書きながら話ながら、新たな疑問や考えがうまれるかもしれない。
この人にはこの場所にはと思える時には「こんなことを知れた」「こう感じたのだ」をがんばって伝えたい。

問いつづけること

そして、そのうえで。3年後どうしていたい?5年後どうありたい?どんな人生をおくるのか?自らの問いを持ち続けたい。
そのためには日頃から経年変化に耐えうる普遍的な思想に親しみ、自問自答し、「こういうことを知ったよ」「自分はこう思うけどどうか」を言葉にし伝えることを諦めてはいけない。自分がありたい姿になれるよう、生き方を間違えないよう、恥じない自分でいられるよう、誰かにちゃんと見てもらい間違いがあれば指摘してほしい。問いをせず伝えることをしないで、ただ他者の同意や期待通りに生きたら、他人の人生になってしまう。自分の生き方は自分しかその舵を握っていない。自分はいまで大丈夫?

つらいときしんどいとき元気がでない時は幾度となく言葉に助けられてきた。古い本の著者から、物語の登場人物から、ブログの書き手さんから、身近な人たちの考え方から。どれも思索や試行錯誤の過程を伺うことができる内容でわたしに力をくれた。誰かが書き残したり伝えてくれたから、救われたなぁと思う。
ひとは自分が与り知らないところで誰かを変える可能性を秘めている。伝えたり自問自答を繰り返した軌跡が、時間や距離を超えて、自分や他者の学びに繋がるとうれしい。

適切な言葉を見つけることに苦労している

脳が事実や感情を都合よく編集したり失念してしまわないうちに、書き留めたり伝えておきたいとしょっちゅう思う。
その事を思い巡らせながらテキストエリアに向き合ってみるのですが、なにから書き始めればよいかむずかしい。ペンを使って紙に書く私信の便りなら最初にきっとこう書く。「日差しが春です。通勤途中に沈丁花の香りがして気分がよいです」
しかしわたしの中でこういった場に残すテキストは手紙と事情が異なる。いま脳内の声はこうだ。「書いておきたいこと、伝えたいことがあるのです」
書きたいことがたくさんあるはずなのに、次にどう書けばよいのかもうわからない。要するになんだ?どうやらわたしは、結論よりその過程に目を凝らしたい性質のようだ。

書き言葉だけでなく話し言葉もそう。表現力伝達力が乏しい自分に嫌気がさす。なにが言いたいのか読んでもらったひとに考えてもらわないといけないかもしれない。こうして伝えられて自分はうれしいけれど、相手はどうなんだろ?面倒じゃないかな?伝わっているのかな。そんなことを考え出すとああダメだーとなって手や口が止まる。「美しいかどうかより思いがこもっているかどうかが大事」以前伝えてもらったこの言葉が事あるごとに背中を押してくれる。
ここまで書くのですら思った以上に時間がかかっていて途方に暮れる。それでも自分が伝えたいことをそのままに伝えたい時は、時間が必要なのかもしれない。自分のなかをぐんぐん掘ってゆき、思考を抽象化し、それを自分がリアルに感じられるまで感じてようやく相手にイメージとして伝わるのかもしれない。諦めず、言葉を探す作業に時間をかけてぜんぜんよいのだということを忘れないでおこう。
できることなら、月を見た時の会話のように事実や感情をシンプルに情緒的に伝えたい。

このエントリは実のところ、余白について書き始めたものです。それなのに、書きたいことをそのまま伝えられる適切な表現が見つからず、書いては消して〜を繰り返すうちに、いつのまにかこんな別の内容になっていました。いつか書けるだろうか。

いまなにが言いたいの?問い続けて自分の声を探している。